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情熱と体力を原動力に人生、先発完投
プロ野球の舞台を退いてすでに15年。しかし、「マサカリ投法」は未だに健在だ。55歳を目前にした2004年11月にも、現在の舞台であるマスターズリーグで141kmを記録し、ファンだけでなく多くの人びとを驚かせた。
プレーヤーとして活躍する一方で、「野球伝道師」としてあちこちの離島をめぐり、野球教室を開催している。この15年間ですでに40以上の離島を訪れた。今後も活動を続け、現役時代の勝ち星と同じ、215の島を回ることを目標としている。この野球教室でも、村田兆治さんの全力投球の姿勢は変わらない。「本物しか伝わらない」と、子どもたちの前でもち前の速球を投げ込む。
村田さんを駆り立てるものは一体何なのか。野球人生を全力で走り続ける原動力をうかがった。
このたびの野球殿堂入り(2005年1月11日発表)、おめでとうございます。

photoありがとうございます。でも戸惑っています。野球殿堂入りというのは、野球人が人生最後に、「よくやった。お疲れ様」ということで選ばれるものだと思っていたので(笑)。自分にはまだまだやることがある。僕の人生は折り返し点を過ぎたばかり。野球界にも社会にも、まだまだ貢献できると思っています。ですから、殿堂入りは大変な名誉ですが、それで終わりとは受け止めていません。今回のことは「兆治、まだまだだ!」という諸先輩や皆様からのゲキだと思っています。

村田さんにとって野球とは?
一言で表すのは難しいですね。実に奥深いものですから。僕は野球を通じていろいろなことを知ったし、多くのことを学びました。
例えば、チームプレーの大切さ。僕はピッチャーだけれど、野球はピッチャーが一人でいくら頑張っても勝てるわけではない。守ってくれる人、打って点を取ってくれる人がいなくては勝てません。もちろん選手をサポートしてくれるスタッフも欠かせない。
それから「勝つこと」の重要性。勝つという目的があるから、人は必死になり、努力をし、肉体的な鍛錬を積み、知恵を絞る。必要なデータを収集して徹底的に分析し、確証を得たうえで勝負に臨む。勝つための術も、野球から学んだことの一つです。
また、「練習は嘘をつかない」、つまり、やればやっただけの成果は絶対に得られるということも、野球を通じて知りました。
おそらく、今お話したことは全て、野球に限らず、学校や社会、もちろん医療の世界にも通じることでしょう。人間は他の人たちに支えられることによって何事かを成せる。しかし同時に、自分で必死に努力しなければ何事も成すことはできません。
マスターズリーグでも、勝負にかける真剣さは際立っています。
僕にとっては当たり前のこと。全てが命がけだと思っていますから。それでつい、不摂生などに対しては厳しくなってしまって、そういうのを見ると、ますます自分が真剣になってしまいます(笑)。
現役さながらの活躍もさることながら、離島へ野球を紹介する活動にもお力を注いでいらっしゃいます。野球人・村田さんを駆り立てるものは一体何でしょう?
僕が野球人生を歩みはじめたきっかけは、子どものときにプロ野球の試合を見に行ったことでした。はじめて野球場で見たのですが、そのときの感動はいい表せないほど大きくて、「オレも大きくなったら、絶対にここで野球をやるぞ!」と誓いました。その決意と情熱が、高校野球、プロ野球、そしてマスターズリーグで目標への道を切り開く原動力になってきました。
33歳のとき、ロッテのエースとして活躍されていた最中に、肘を故障なさったことがありましたね。
photoあのときは本当に悔しかった。日本では再起不能と診断されたけれど、「このままでは終わらせない。絶対に復帰する!」と誓って、真剣に復帰への道を模索しました。まず情報を集めて徹底的に調べたところ、アメリカでは自分と同じような選手が手術で復帰していることがわかり、また、確実なデータもありました。だから、ジョーブ博士の手術を受けることを決断したんです。ジョーブ博士がおっしゃったことのなかに、忘れられない一言があります。それは、手術をすれば本当に元に戻るのかと問いただす私に対して、「ベストを尽くす」とおっしゃったことでした。僕はその言葉にジョーブ博士の真剣さを感じ、あとは自分が精一杯努力すれば必ず元に戻れると確信しました。
このときの渡米で、忘れられない人がいます。それは、リハビリ中に出会った80歳の方です。この方がリハビリに取り組む姿勢が、とにかく必死で真剣。それを見て思ったんです。「80歳の人があんなに頑張っているんだから、33歳のオレもやってやろう!」と。
やればできるという結果を、村田さんは体現されました。さらに、55歳の現在も、141kmという速球を投げ込んでいらっしゃいます。その姿には、野球ファンだけでなく、多くの人びとが心を動かされます。
本物しか伝わらない、心に残らないということは、僕自身の体験で知っていますから。だから子どもたちの前では真剣に投げる。こちらが本気で臨めば、子どもたちも必死になる。努力しよう、頑張ろうという気持ちは、自発的なものでなければ続かないんです。
僕のやり方を不器用だという人もいますが、僕は自分に与えられたポジションに立ち続けたい。人生を途中で降板したくない。だから「人生、先発完投」を座右の銘にしているんです。
最後に、本ホームページを訪れた方へメッセージをお願いします。
photo先発完投したい僕の原動力は、先ほどお話ししたように情熱と、それから体力です。僕は引退後、48歳のときに、心筋梗塞で大手術を受けました。このときは死線をさまよったんです。でも、またマウンドに立つことができましたし、今もこうして140kmの速球が投げられます。もちろん、「またマウンドに立ちたい」「140kmを投げたい」という気持ちが復帰の支えになりましたが、それに加えて体力が助けになりました。気力や精神力だけでは、故障や病気を克服して復活を遂げることは決してできなかったと思います。ましてや人生を完投することなどできない。ですから、体力は大切です。
途中降板はしたくないから、最期までやり抜く努力を欠かしません。今のところ、80歳までは、健康を保って完投できる自信がありますよ。
村田 兆治(むらた ちょうじ)投手・元プロ野球選手
1949年11月27日、広島県生まれ。
'68年ドラフト1位で東京オリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団。'71年に独特の「マサカリ投法」をあみ出し本格的に活躍しはじめる。ロッテの日本一に大きく貢献し('74年)、最多勝・最優秀防御率など数々のタイトルを獲得した。
しかし'82年、右肘を故障。再起不能といわれるなか、当時の日本ではタブーとされていた外科手術を決断。アメリカでジョーブ博士のもと、日本人選手として初の腱の移植手術を受けた。2年半のリハビリ後、'84年8月に復帰。翌'85年には開幕11連勝、日曜日に登板して勝ち星をあげることから「サンデー兆治」の異名を取る。'89年に200勝を達成し名球会入り。'90年、41歳のときに、40代では史上2人目の2ケタ勝利を記録するも引退。最後は完封試合で締めくくった。通算215勝。
'95年福岡ダイエーホークス(当時)の投手コーチに就任し3年間務めるが、'97年、心筋梗塞で緊急手術を受ける。しかし、このときも完全復活を遂げる。引退後は「野球伝道」をライフワークとし、離島をめぐって野球教室を開催している。合わせて「マサカリ基金」も設立し、離島での野球支援を計画している。'05年3月には、野球伝道のためのチーム「マサカリ・ドリームズ」を結成する予定。
このような活動を続けると同時に、野球解説者としても活躍中。また、元プロ野球選手がプレーするマスターズリーグで東京ドリームスに参加し、現役時代さながらの速球を投げ続けている。
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