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インタビュー

株式会社ミタショー 三田常務。「織物の無限の可能性を追求しながら、時代に合わせた提案を続ける。」

群馬県の桐生産地で服地などの生産を手掛ける株式会社ミタショー。テキスタイルデザイナーとして同社の企画開発部門を牽引する三田常務にお話を伺いました。

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生産管理として世界中の生地に触れた経験株式会社ミタショーは、私の祖父が群馬県の桐生産地でレーヨン糸を染める染屋からスタートし、その後、織機を導入して機屋になりました。二代目は父と叔父、私の代で三代目です。男ばかり三兄弟で、二人の兄がそれぞれ社長、専務をしており、三男の私は常務として企画開発部門の営業やテキスタイルデザインを担当しています。
桐生の織物は、風通織りのような多重織りと、カットジャカードのカットの技術が大きな武器です。弊社は30年ほど前までは、キラキラしたラメのフクレ織物やカットジャカード織物を中近東や北米に多数輸出していましたが、現在は繊維全般を扱い、主に国内のアパレルメーカー様向けの婦人服地をメインに、メンズやインテリア、ファッション小物用の生地などを生産しています。
私自身は東京の大学を卒業後、山本耀司さんのY'sで4年間お世話になりました。大学や専門学校でテキスタイルについて学んだ経験はなく、ただ洋服が好きという憧れだけで飛び込みました。生産管理に配属され、そこから必死で縫製や生地の勉強をしました。そこでは国内外の様々な生地を見ることができました。企画担当者が探してきた生地を見ながら、どうやって縫製に落とし込もうかと考えたり物性が悪いと、とりあえず生地を洗ってみたり。私がいたころのY'sはウールのギャバだろうと綿カツラギだろうと結構なんでも洗ってました。その当時は家業を継ぐとは思ってもいませんでしたが、ここでユーザーの立場を経験できたことは、作り手になった今、とても役に立っています。

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ショックを受けた「ジャカード」への想いに変化 Y'sを退社後ミタショーに入ったのですが、最初は扱っている生地があまりにも老けていることにショックを受けました。質感、柄、意匠...何もかもがそれまでY's で見ていた生地とあまりに違いすぎてギャップに愕然としました。
「これではダメだ」という思いと、自分のスキルを上げなければという思いで、自分なりに生地を作ってみることにしました。幸いその頃はバブルが弾ける手前で弊社もわりと景気がよく、環境も整っていたので、好きなことをやらせてもらえました。周りも「東京帰りの三男坊が何かやってるぞ」という感じで見守ってくれました。それで1年くらいかけて、Y's で扱ってもおかしくないような生地をコツコツと作って貯めていきました。当時は、「ジャカード=ミセス素材」のようなイメージだったので無地の生地ばかり作っていたのですが、しばらくすると社内にあるジャカード織機と技術をフルに生かした生地を作りたいと思うようになっていきました。
そんな中、1993年に地元の有志4名で織物勉強グループ「布の鼓動」を結成しました。桐生出身で日本を代表するテキスタイルデザイナーの新井淳一さんに教えを請いながら、新井さんのコネクションを頼りに、あちこちの産地に行っていろいろな人と交流し、素材の勉強をしたりしました。オランダの国立織物美術館で展示会をしたこともありました。これらの活動を通して本当にたくさんのことを学んだのは、私の一生の財産ですね。

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長繊維の産地 桐生で、ウールを扱う「布の鼓動」は、もともと「ウール研究会」として発足しました。ウールというと尾州が日本で一番大きな産地ですね。当時レーヨンを主体とした長繊維の産地である桐生でウールを扱うと、その縮む特性ゆえに多々失敗をしました。ミタショーに入ったばかりの頃、兄からは「ウールには手を出すな、難しいから損をするぞ」と釘を刺されたほどです。ただ、それをどうにかしたいという思いがずっとありました。「布の鼓動」での学びをきっかけに、それを克服することができ、今ではウールもミタショーの主力商品の一つとして積極的に取り扱っています。長年リピートしてくださるお客様もでき、社内にウールの洗い加工専門の工場も造りました。
例えばこの生地のアイル柄(写真)、毛糸で編まれたセーターによく見られる柄です。でもこれは編物ではなく織物、ジャカード織りです。洗いをかけることで柄が立体的に浮き上がるように織っています。素材は縦が細いベンベルグで、横はウール。ウール100%ではここまでの立体感は出せませんし、しかも薄くてとても軽い。ベンベルグの使いやすさって、こういうところで、主役にも名脇役にもなれるんです。こういった生地を自社で加工まで手掛けられるところは、今のミタショーの大きな強みです。

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海外のクライアントや若い社員からインスピレーションを得て1998年、MoMA(ニューヨーク近代美術館)で日本のテキスタイルに焦点を当てた企画展が開かれ、日本全国の産地で作られた織物や、日本人デザイナーの作品が集められました。このときも新井さんが深く関わっておられ、私も出展させていただきました。さらにMoMA側から「企画展にちなんだものをミュージアムショップで売りたい」とリクエストがあり、ブランケットを作りました。ウール100%で、多重織りとカットジャカードの技術を取り入れた手作り感あるものだったのですが、これがよく売れました。MoMAとはそれから20年来のつきあいで、今でも毎年、新しいデザインを提案し取り扱われています。海外の方と仕事をすると普段気づかない日本のいいところが見えて、それがデザインソースになったりします。例えば、日本建築の障子や襖からインスピレーションを受けたり、日本庭園から着想を得たりすることもよくあります。
織物って、経糸と緯糸で構成された極めてシンプルなものですが、まだまだやり切れていないことがいっぱいあると私は思っています。糸の種類や太さ、密度、織り方、加工...ジャカードを含めるとさらに可能性は広がります。その無限の可能性をこの先も追求しながら時代に合わせた提案をし続けることが自分の使命ではないかと最近は思っています。会社に若い社員もいるので、彼ら彼女たちの発想力や感性からも刺激を受けながら今後も挑戦し続けて、次の世代へとつなげていきたいですね。

三田 修武(みた・おさむ)

株式会社ミタショー 常務取締役 / テキスタイルデザイナー
1963年生まれ。1987年國學院大学卒業後、株式会社ワイズに入社。1991年株式会社ミタショーに入社。以降、テキスタイルデザイナーとして精力的に活動。 1996年「東京クリエイションフェスティバル」テキスタイルデザイン展 審査員特別賞受賞、1998年ニューヨーク近代美術館「ストラクチャー アンド サーフェイスコンテンポラリー ジャパニーズテキスタイル展」出展、2003年「ザ・ギンザ・バイ・セタイイチロウ・ミタオサム」を展開、2005年、愛知万博クリエイティブジャパンにて衣装デザイナーひびのこづえ氏とコラボレーション、2014年NHK番組「イッピン」でOSAMU MITAデザインのブランケットが取り上げられる。

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