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インタビュー

深雪アートフラワー 三代目主宰 飯田恵秀氏。作る楽しみも、飾る楽しみも。魅力が詰まったアートフラワーを、日本の文化に。

花びらや葉の形にカットされた布を染色して、コテで形成する深雪アートフラワー。三代目主宰 飯田恵秀氏に、これまでの歩みやアートフラワーへの想いを伺いました。

70年以上の歴史を持つ深雪アートフラワー アートフラワーとは、創始者である飯田深雪が、芸術的な造花への願いを込めて命名したもので、70年以上の歴史を持ちます。二代目の飯田倫子は、師である母を支えると共に、次代の変化にも応え普及に努めました。そして2012年、私が三代目主宰 飯田恵秀を襲名させていただきました。
飯田深雪は、絵画的なものをとても大切にしていました。アートフラワーは様々な色を混ぜて花を作るので、そのときの心情を反映することができます。例えばピンクの場合、少し寂しい思いをしている時ならグレーがかったピンクに、楽しいときはビビッドな明るい色にと、筆1本で自由に表現できます。つまり植物の色を再現するのではなく、絵を描くように色を付けなさいということなんですね。私はそういった創始者の教えを基にしながら、新しい感覚も入れていければと考えています。
三代目の襲名披露展では、源氏物語をテーマに、登場人物をイメージした花を作りました。きっかけは、たまたま見かけたデパートの開店祝いでした。ピンクの百合が枯れて紫色に変わっていたのを何だかとても美しく感じたんです。そこからインスパイアされ、一番好きなキャラクターである六条御息所の生霊をイメージした百合の花を作りました。普段、百合を作るときは厚い布を使うのですが、生霊なので花の部分にはオーガンジーを、茎にはビニールチューブを使って透明感を出してみました。また全ての作品のどこかに、作者の紫式部をイメージさせるよう紫色を入れました。皆さん、面白がって見てくださっていましたね。

いつまでも咲き続ける花を作りたい 私は子供の頃から花が大好きで、小学校では園芸クラブに入っていました。でも、せっかく育てた花が枯れてしまうのがすごく寂しかったんです。6年生のある日、母の持っていた雑誌『婦人画報』の飯田深雪先生の記事を目にしました。至るところにきれいな花が飾ってあり、すぐに造花だとわかったのですが本物の花よりも魅力的に感じたのです。そんな時、二代目の飯田倫子先生がテレビ番組で、薔薇とダリヤの作り方を紹介されているのを見て、どうしても自分で作ってみたいと思いました。何とか親に頼み込んで材料を手に入れてからは、夢中になって薔薇の花を作りましたね。当然ですが上手くできないのが悔しくて仕方なくて。どんどんのめり込んでいきました。
それから数年後、名古屋のデパートで開催される「手芸フェスティバル」に倫子先生が来場されると知り、母と一緒に訪れました。そのとき、たまたま祖母へのお土産に自作の薔薇を持参していたのですが、恐れ多くも母がそれを先生に見せたんです。先生は突然のことにも関わらずじっくりと見てくださり「驚きました、この子はこれを仕事にできますよ」と言ってくださったのです。それがきっかけで、毎年、先生が名古屋に来られるときはお花を見せに行くようになりました。7年目にパフィオペディラムという洋ランを作って持って行くと「これは面白い。売れるかもしれないから、預からせて」と持ち帰られたんです。1週間後、その花が売れたとお電話をいただきました。

恩師に導かれ、三代目の道へ そこから地元の教室に通って師範の資格を取り、自宅で毎日のように胡蝶蘭やカトレアを作っては、深雪スタジオに送る日々が始まりました。自由にさせてくださっていたので飽きることなく楽しく制作していましたね。例えばカトレアなら白・ワイン色・ピンクの定番色だけでなく、黄色やオレンジや紫などいろんな色のカトレアを作っていました。
そんなことを続けて3年間ほど経った頃、倫子先生から「深雪スタジオを続けていくために若い人の力が欲しい」と言っていただき、28歳で上京しました。最初は材料を販売するアルバイトから始め、営業部、講座課と、経験を積みました。夕食は毎日先生の家でごちそうになっていました。上京するとき母に「健康でいられるよう必ずうちで食べさせる」と約束してくださっていたのです。本当にありがたいですね。
その後は講師として教室を持ったり、先生のお供で全国の手芸フェスティバルに参加し、デモンストレーションをさせていただいたり、地方に教えに行くことも増えました。後でわかったことですが、先生は地方へ行く度、「今度若い子が来るから助けてやってね」と根回ししてくださっていたようです。突然入ってきた若者が跡を継ぐことに批判の声もあったようですが、深雪先生や生徒さん達から私が嫌われないようとても気を遣ってくださっていました。
大きな仕事のお手伝いもさせていただきました。北澤美術館でエミール・ガレやドームの器に花を生けて共演する展示会を開かれた際には、アール・ヌーヴォーの器の写真を見せられて「あなただったらどんな花を作る?やってごらんなさい」と言われ、自由に作らせていただきました。

若い世代にアートフラワーの魅力を知ってほしい アートフラワーでは、まず型紙を作り、その花に一番相応しい布を選びます。うちで使っている布の素材はほとんどがベンベルグですね。次に、花びらの形に切った布に色を塗っていきます。基本色は14色で、それらを混ぜることでいくらでも好きな色が出せるんです。色が塗れたら花びら1枚ずつにコテを当て、それらをボンドで留めて形を作ります。あれこれ考えながら型紙を作るのも着色するのも楽しいし、思い通りに形ができたときや完成した時は嬉しい。10代でアートフラワーに出会ったときの気持ちがずっと続いています。今でも「これでいい」と満足することはありません。常に「もっと新しく、もっといいものができるはず」と思いながら取り組んでいます。
2代目から呼ばれたとき、「後の世までアートフラワーや飯田深雪の名を残してほしい」と言われました。長い深雪スタジオの歴史の歯車の一つになれたことは私の誇りです。今、30代以下の方にアートフラワーはほとんど知られていないのが現状です。若い方にも是非、知っていただきたいですね。アートフラワーの魅力は、季節関係なく好きな花を作れること。自由に花を表現することができ、作るだけでなく、出来上がった花をアレンジメントすることもできて、何度でも生け直しができる。またコサージュや髪飾りを作ることもできます。布なら何でも材料にできるので、洋服や着物の余り布、帯地でも作れるんですよ。
まもなく、深雪スタジオの新社屋ができる予定です。若い社員も増えるので、インターネットやSNSを駆使して、もう一度アートフラワーを世間に広めていければ。そして細く長く、日本の文化として根付かせることができればと思います。

飯田 恵秀(いいだ・けいしゅう)

深雪アートフラワー三代目主宰
1968年愛知県生まれ。12歳の頃、雑誌で深雪アートフラワーに出会う。15歳の時にテレビ「婦人百科」に出演した飯田倫子のダリア、ばらの放送を見、テキストを購入し自分なりに作り始める。
その後、正式に深雪アートフラワーを学び、飯田倫子の勧めで上京。飯田深雪、倫子に直接師事し技術を磨くとともに指導も始める。独特の感性で、従来の技法にとらわれず、作品を制作している。現在は、全国を回り指導をしつつ、迎賓館や庭園美術館などでのアートフラワー装飾をはじめ、映画、ドラマ、CMへの作品提供など、活動の幅を広げている。

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