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文化学園大学名誉教授 田村照子先生インタビュー「快適で健康な衣生活」のため研究を重ねた日々―そして今、未来について思うこと。

人体の計測、生理学、解剖学などあらゆる角度から被服に関する研究を重ねてこられた被服衛生学の第一人者、文化学園大学名誉教授の田村照子先生。働く女性の先駆けとして、どのように歩んでこられたのでしょうか。また、先生が考えておられる、これからのものづくりに大切なこととは?お話をお伺いしました。

恩師に背中を押され、研究の道へ もともとは家庭科の教師になるつもりで、お茶の水女子大学の家政学部で被服構成学を学んでいたのですが、ここで出会った先生から大きな影響を受けて、研究の道に進むことになりました。
既製服がない時代に「これからは不特定多数の人を対象とした服づくりが求められる」と、日本で初めて人体計測を提唱なさった先生で、今の既製服のサイズの基盤を作られた方です。先生につかせていただいたことで、「将来の被服学を背負っていくためには何が必要か」ということに目覚め、発足したばかりの大学院に進みました。修士課程では多量の人体計測データを対象に多変量解析法を使って、どんな方法がいちばん効率よく体型を分類できるかをテーマに研究しました。今ではパソコンですぐにできる解析法ですが、当時はとても高い壁でした。でも、この頃から研究って面白いなと感じるようになりましたね。「どうしてこうなるの?」「なぜなんだろう?」という学問の真髄のようなところに夢中になっていきました。

その時はまだお茶の水女子大学には修士課程しかなかったのですが、先生は「いずれは博士号の取得を目指しなさい。」と言ってくださり、修士を終える頃には順天堂大学の解剖学教室の助手の仕事を紹介してくださいました。さすがに最初は「私、解剖するの?!」と戸惑いましたよ(笑)。でも先生は、「衣服を着るのは人間。その人間のことがきちんとわからなかったら衣服がどうあるべきか考えられないでしょう?解剖学は人間を勉強するのに何よりも近道。家政学部から解剖の勉強ができる機会なんてめったにないのだから、行ってらっしゃい」とおっしゃって。私もあまり考えずに飛び込んじゃう人間だから(笑)、そこから2年間、解剖学をみっちりやりました。毎晩遅くまで解剖の手ほどきを受けて、最初は夢にも出てきましたよ。解剖学用語も必死で覚えました。きっと、その頃が一番勉強しましたね。

与えられた場所で目いっぱい楽しむ その後、結婚するタイミングで文化女子(現在文化学園)大学に入れていただいて被服の分野に戻り、しばらくして日本初の「着装実験室」で脳波・筋電図・心電図が測れる装置を使った研究を始めました。またしても未経験の分野でしたが、東大の運動生理学の研究室に研究生として入れていただき、ここで生理学的な手法をマスターしました。
出産のため一旦お休みしたあと、文化学園での研究を続けながら、今度は東京医科歯科大学衛生学研究室の専攻生となり生理・衛生学について学びました。人工気候室で温熱的な環境を作り、当時アメリカから入ってきたばかりのサーモグラフィを使って人の皮膚の温度を研究していましたね。そして子育ての真っ最中に7年かけてついに博士号を取得、40歳を過ぎてからのことでした。子育てがひと段落した40代の後半には、大学からアメリカのカンザス州立大学に半年間留学もさせていただき、そこではサーマルマネキンを使った、また新たな領域の研究に取り組みました。

解剖、生理、物理と、様々な視点から学んだことは、その後の研究にも大いに役立ちました。例えば被服の原型をつくるとき、普通は寸法から作図するんですね。でも私は体に石膏を貼って、それをペリペリとはがす。するとその体のオリジナル展開図が取れるんです。それを皮膚の伸びや動作の研究に発展させました。こういった発想は解剖学が活かされているのですが、そういうことを学生たちと面白がってやっていましたね。
私は何に関しても、与えられたところで楽しむクセがあるんです。受け身なんだけれど置かれたところでは一生懸命やる。するとインプットが段々蓄積されて、次に新しい発想を必要とするときに、それらが応援してくれるんです。子育てしながらの研究はやはり限界もありましたが、なるべく楽しむ・遊ぶ、そして、少し頑張る。振り返ってみて、それが大事だったかなと思いますね。

夫と姑のサポートで、仕事と家庭を両立 私の時代は、女性は大卒後2-3年ほど働いて結婚したら家庭に入る、という人がほとんどでしたから、私自身もそうなると思っていました。働き続けることを決めたのは結婚してからですね。夫の仕事柄、転勤がなかったことや、姑と同居することになったことが決め手でした。
姑は私が働くことを応援してくれましたし、子供の面倒も見てもらいました。そうじゃなかったら、きっと働き続けることはできなかったですね。もちろん最初は激しいケンカもしましたよ(笑)。でも大事なのはその後。引きずっては絶対ダメだと思って、どうやったらケンカせずに済むかということを考えました。それで、「ここからここはあなた、ここからここは私」というように、役割分担にキチッと線引きをしたんです。例えば「何時以降の子供の面倒は私がみます。でも何時から何時まではお義母さんにお願いします」とか、部屋の掃除はどちらがやるかとか。幸い姑が理解のある人だったから、線引きしてからはすごくうまくいきました。
主人もずっと、仕事を応援してくれていましたね。同じ研究者でも私にないものを持っている人で、忙しい中でも趣味の時間を楽しむことができたのは主人のおかげ。学生時代に混声合唱で一緒だったので、音楽は共通の趣味ですが、他にも食べることや旅行も大好きだから、昔から毎年家族で旅行もしていました。最近はずいぶん時間の余裕もできたので、オペラや音楽会に行ったりと、一緒にあちこち出かけるのを楽しんでいます。

エシカルにファッションを捉えられる社会に 「快適で健康な衣生活」を考えたものづくりはもちろん大切ですが、これからは同時に「環境」のことも考えたものづくりがますます求められるでしょう。今、ほとんどのファブリックが石油系の合成繊維が主流になっています。これらは経済性や利便性の面で人の欲求に応えることができるため多く流通しているのでしょうけれど、生分解はできませんし、将来的には石油そのものの限界という問題も、きっと出てきますよね。決して環境にいいとは言えません。また機能面においても、最近では触っただけで気持ちのいい、人間の心をくすぐる石油系合成繊維がたくさん出てきていますが、それでもやっぱり着てみると、人間から出る水分を閉じ込めてしまうムレ感というのは否めないんですよね。
その点<ベンベルグ>は客観的に見て、快適性、特に吸湿性に優れていますし、肌触りのなめらかさ、摩擦の小ささ、帯電性の低さなどの機能面でも、生分解性繊維で再生可能エネルギー使用というサステナブルな観点でも、とてもいい素材だと思います。

「地球は未来の子孫からの借り物」と言われます。今後は消費者がエシカルにファッションを捉え、それらが支持される社会になってほしいと思いますね。そのためには企業側からの発信がとても重要になると思います。 消費者が実情を認識し、危機感を持って「今、何を選ぶべきか」と真剣に考えられるように、企業がフィロソフィーを持ってアピールし続けることが大切なのではないでしょうか。

田村 照子 先生

文化学園大学名誉教授。同衣環境学研究所所長。お茶の水女子大学大学院家政学研究科修士課程修了。順天堂大学助手、文化学園大学教授、同大学院 生活環境学研究科長を経て、現職医学博士。衣服の機能性に関する分野を人々の生活に役立つ学問領域にしたいと、医学の知識を生かしながら「温熱」「形態と運動機能」「皮膚の生理」を中心に研究。日本を代表する被服衛生学研究の第一人者に。著書に『衣環境の科学』、『衣服と気候』(気象ブックス)など多数。

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