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暮らしのコツ

── 鍛治さんが個人的におすすめの箇所はどのあたりですか。

鍛治さん 鷲田先生の話はもちろんですが、藤原智美さんの章「お前が寝なくて誰が寝る!?」は個人的には面白かったです。個人の眠りではなくて社会の中の眠りというか、かつては雑魚寝にもなんとなく規律があったけれど、それが微妙にずれてきた現状についての話は興味深いですよ。

この単独的行為になってしまった現代の睡眠。おそらく新勝寺の断食部屋のような集団的な睡眠というのは、学校の旅行以外はあまりないですね。最近ではそれも個室が中心になりつつある。ましてや気配を察して、折り合いをつけてみんなが納得して眠るということなどない。睡眠は個人のものになっていて、個人のものとして語られ、私たちもそういう意識を持っています。  このことがさまざまな問題を起こしているのだろうと僕は思っています。ひとつは、私たちの睡眠が個人化=単独化したということは、同時に孤立化も引き起こしている。そんな中でたとえば「お前の睡眠なんか、お前でやれよ。お前の睡眠をコントロールできないのはお前が悪いんだよ」というような社会的意識、通念みたいなものが生まれているような気がします。「眠ない? ぜいたくだよな、お前。だって寝るなんて誰でもできるだろう。お前が寝なきゃ誰が寝るんだ。代わりに寝てやることはできないんだから」という感覚です。
                  (藤原智美、「寝床術」p.230-231より抜粋)

それ以外では、「どこでもスイミン実験室」という、展覧会の「どこでもスイミン展」を再録した部分も、一緒に展覧会製作に携わったので思い入れがありますね。

── 「どこでもスイミン実験室」というのはタイトルだけで楽しそうです。寝室で寝なきゃいけないわけじゃないですもんね。

鍛治さん 夏は風が通るベランダで寝ると気持ちよさそうですよね。

── 20世紀初めの、アメリカ西海岸の建築家ルドルフ・シンドラー*7の自邸は、南側屋上にスリーピングポーチと呼ばれる露天の寝室があったそうです。

鍛治さん さすが西海岸ですね。インドやアフリカの一部では普通にそういう場があって、夏の夜は室内外にこだわらず自由に眠っていたそうです。でも近代思想で住宅を考える建築家やプランナーは「寝室」という場所を家の中に明確に設けたいと考えた。それが眠りを寝室に閉じ込めてしまったわけです。ある住宅メーカーのハイテク実験住宅を見学した時、私が睡眠を研究しているということで、寝室を特に丁寧に説明してくださったのですが、ベッドに組み込まれたセンサーで睡眠時無呼吸症候群が検知できたり、睡眠中の健康障害をチェックできるシステムが導入されていたんですね。眠りを考えた住宅では、そういう方向性もアリだと思いますが、私はむしろそのベッドが可動式で、自分が眠る時に気持ちの良い場所を探して移動できることが良いなと思ったんですよ。あと、地下がオーディオルームで、静かで涼しい。夏はここで眠りたいなと思ったり。ハイテクの眠りよりも、寝る場所を限定しない暮らしのほうが楽しそうでした。

鍛治恵

── 日本の暮らしでは布団を抱えて移動すれば、寝床も移動できますよね。

鍛治さん そうなんですよ。外で食事を楽しむピクニック感覚で、場所を変えて眠りを楽しむ暮らし方もあると思うんですよ。日差しが気持ち良い場所やテレビの前にお膳を運んで、ダイニング以外でゴハンを食べるみたいに、眠りも専用寝室だけにこだわらず、その季節でいちばん気持ち良い場所に寝具を移動して眠るのもいいんじゃないかって思います。「どこでもスイミン展」はそんな考えで企画されたものです。

── そう考えると眠りも楽しいですよね。

鍛治さん リビングでうたた寝してると、「ああ、リビングで寝ちゃったよ」という罪悪感みたいなものがあるじゃないですか。そうじゃなくて、リビングが心地よければそこで寝ればいい。寝具メーカーも移動式に着目してほしいです。

── 最近は寝袋の足の部分が分かれていて、寝袋に入ったまま歩くことができるモノはありますけどね。非常時でも安心という売りです(笑)。

鍛治さん あははは。寝袋に入ったまま歩いている人はちょっと奇妙ですけどね。そういう便利グッズでもいいし、昔の日本人は、旅先に枕を携帯して、それを置くと寝床になるという「箱枕」の文化もありますから。それを再評価してもいいんじゃないかな。箱枕の現代版とか。

「このような枕を使っている日本人は、文字どおり寝床を提げて歩くことができる。なぜなら、そのような手回り品を収納した枕があれば、日本人は困らないからである」。  これは、今からおよそ120年前、明治時代の日本に学者として、教育者として来日し、大森貝塚の発見で広く知られることになったエドワード・モースの言葉、彼が当時の日本人の生活ぶりをとらえて書いた「日本人の住まい」の中の一節である。    (「寝床術」p.50-51より抜粋)

── 日本は深刻な住宅問題で住まいを失い、野宿を強いられている人たちもいますが、季節で場所やしつらいを変えて寝ていますよね。

鍛治さん 誤解を恐れずに言えば、いろんな知恵があるかもしれないですね。寒くなると上に布団をたくさん掛けるけれど、実際は敷き布団を温かくしないと保温効果が高まらない。それも暮らしの実践の中で理解しているなと思うことがあります。鷲田先生がこの本で触れていますが、近代化とともに生活の要素がどんどん外在化する中で、最後に残るのは「寝に帰る場所」寝床であると。それは最後であり最初でもあるわけです。住宅の最初の目的は安全に安心して休息できる場所ですから。今でこそ家では安心して眠っていますが、そうした環境を手に入れたのは人類の歴史では最近のことですよね。危険が多いと不安になり、それに順応して眠らなければならない時代もあり、眠りもどんどん変わってきたわけです。昔のヨーロッパのベッドは長さが小さいですよね。あれは危険に際してすぐに起き上がることができるように、寄りかかるような姿勢で寝ていた。

そう考えていくと、今の家庭は、ホームレスに近いような気がします。ホームレスの方は衣も食も入浴も全部、レストランの裏口や公園の噴水、ごみ箱、拾ってきたダンボール箱とか、公共的なものに私的な生命過程のプロセスを寄生(依存)させるというかたちで生きている。けれど今、私たちの都市の住民のほとんども同じことをやっているのではないか。(中略)今ホームに残っている必需品はベッドだけではないかとすらいえるように思います。それすらも、残業が多いとわざわざ毎日寝に帰る必要はなく、週末だけ帰ればいい。(中略)津村耕佑さんというファッションデザイナーの方が、現代の都市住人のために、ずいぶん前から寝袋を兼ねた服を作っておられます。都市住民は限りなくノマッド化している、ホームレス化に向かっているという一つの事実が指摘できると思います。          (鷲田清一、「寝床術」p.99-100より抜粋)

── 私たちが最高の眠り方と思っているスタイルも、時代とともに変わっていって、「100年前の人間はベッドで横になって寝ていたらしいよ(笑)」とか言われる時代がくるのかもしれない。

鍛治さん この50年でも眠りはずいぶん変わってますよね。姿勢でいえば西欧では仰向けで眠る姿勢を忌み嫌う人がいますから、うつ伏せか横向きで眠る人が多い。睡眠のタブーは睡眠文化研究でも採り上げたいと考えていて、スタートは道具の違いや寝室のしつらい、次に行動、例えば昼寝をするしない、そして最後は価値観、目に見えない眠りの哲学やタブーの比較研究になるのかなと思っています。眠りはムダな時間だと考えるか、睡眠時間をどう捉えるか、早起きの評価の高さの意味などから、学際的に探っていきたいですね。「寝床術」もいろんな違いが見えてきて面白いけれど、「ねむり衣の文化誌」は、同じ睡眠文化研究所が編集した本でも、ちょっとフェティッシュなテーマで面白いですよ。ねむり衣を自分自身でどう捉えるか。文化と科学がせめぎ合うところが道具の研究として面白い。ねむり衣はいちばん身近な睡眠環境ですから「寝床術」とも無関係ではない。最近は首から下げる携帯式の空気清浄機も注目されていますよね。そうなると「環境」も着脱式になって、それを携えて移動するという考えが生まれる。睡眠の環境も自分の身の回りで思い通りになる、それを着けたら快適な環境が生まれる。ねむり衣は、それを身に着けた瞬間に空間や環境をモードチェンジできると考えると、環境の一つとして考えることができると思うんですよ。

── 使い手の気分のモードをチェンジすることで同じ空間でも使い方や目的が変わるような。

鍛治さん もともと日本は畳の間に卓袱台を出すと茶の間になり、布団を敷けば寝間になる文化ですから。ある特定の目的や用途のために部屋をわざわざつくるのではない、別の考え方が生まれると思いますね。目的別に分けることが近代的な思想として考えられ、近代化とは分けることで、分かることでした。都市計画でも同様です。でも、それを見直す時期にきていますよね。日本には、状況に応じて見立て替えして、食事も眠りも執務も、場所を定めずに気持ちいい場所で行うような文化があった。それが近代化で否定されて場が用途純化されている。それを見直すことは意義があると思います。住まいの中に専用寝室があることは近代でしたが、それが考え方の大前提になっていることで、暮らしの自由が失われている向きもあると思うんですよね。前提を外して暮らしの中で「眠り」を捉え直すと、住まいにもいろいろな視点が生まれてくると思います。

── 家の中の眠りを見直すことで、暮らし方や空間の使い方も変わっていくかもしれない。そんな可能性を実感しました。 次回は鍛治さんご自身の眠り観なども聞かせてください。

*7 ルドルフ・シンドラー

建築家。1887年ウィーン生まれ。フランク・ロイド・ライトの設計事務所を経て、1920年代から40年代のロサンゼルスで100件以上の住宅の設計を手がけた。「建築家は人間を自然との調和の中に戻す治療者」とは、盟友の建築家リチャード・ノイトラの言葉だが、自然医療医ラヴェル博士の影響による健康生活を実践していたのがシンドラーだった。自邸には彼が憧れた日本の住宅の影響も強い。シンドラーは正当に評価されない不遇の建築家で、彼の建築の先進性が認められたのは死後間もなくのこと。しかし生前は、屋外に近い環境で、カリフォルニアの日差しを浴び、心豊かに暮らしていた。南側屋上にはスリーピングポーチと呼ばれる、露天の寝室があった。

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