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暮らしのコツ

眠りの本棚 第九話

ぼくが眠って考えたこと

眠くならない本:ぼくが眠って考えたこと(藤原智美 著)

「不眠者の時代」の寝床めぐり。うたた寝から熟睡まで。芥川賞作家の体験ルポルタージュ。
「もしかすると、現代人の睡眠とはノマドという言葉ではなく、むしろ携帯、モバイルという言葉のほうが適切かもしれない。あるいは高度情報化社会の特徴のひとつをあらわす「ユビキタス(どこにでもある)」という言葉がフィットするかもしれない。いすれにしても、いま眠りの空間はこれまでにない変化の過程にある。では、実際にどうなっているのか?これからその現場を訪ねてみたいと思う。」(プロローグ 偏在化する「眠り」を訪ねて、より)

「ぼくが眠って考えたこと」

2005年 エクスナレッジ 刊

藤原智美 著  定価:1600円+税

目次

PART1

空間の体験 広がる眠りの「場」

プロローグ 遍在化する「眠り」を訪ねて

1 スイートルーム  見せるためのベッドメイク
2 イギリスの民宿 ベッドが主役の宿らしい宿
3 カプセルホテル 日本だけの眠りの装置
4 コンサートホール 睡眠のための音楽会
5 睡眠クリニックの宿泊検査室 眠りを計測する個室
6 睡眠サロン じょうずに仮眠する時代
7 インターネットカフェ コンビニ化する睡眠
8 キャンピングカー 自走式住宅という発想
9 ファーストクラス 空で「横たわる」という快感
10 豪華ヨット 海洋スポーツの仮眠空間
11 富士山の山小屋 前近代としての寝床
12 酸素カプセル 自分をリセットする装置
13 ブルーシートハウス 住むこととは眠ること
14 住まいの寝室 眠るためだけの住まい

PARTⅡ

空間の考察 かわる眠りの「意味」
1 夢と睡眠
2 不眠の時代
3 浮遊する眠りの空間
眠りと覚醒の閾 あとがきとして
profile
鍛治恵

かじ・めぐみ ● NPO睡眠文化研究会事務局長・睡眠文化研究家・睡眠改善インストラクター。寝具メーカー、ロフテーの「快眠スタジオ」での睡眠文化の調査研究業務を経て、睡眠文化研究所の設立にともない研究所に異動。睡眠文化調査研究や睡眠文化研究企画立案、調査研究やシンポジウムのコーディネーションを行なう。2009年ロフテーを退社しフリーに。2010年NPO睡眠文化研究会を立ち上げる。立教大学兼任講師。京都大学非常勤講師。立教大学ほかでNPOのメンバーとともに「睡眠文化」について講義を行う。
http://sleepculture.net/

キャプション

── 今回から3回は鍛治さんにご推薦いただいた3冊の眠りの本についてお話をうかがいたいと思います。最初の本は藤原智美さん*1が書かれた「ぼくが眠って考えたこと」ですね。
そういえば、前回ご登場いたいだいた内田青蔵先生*2は後日、寝室をテーマに語るのは、どこの国もそうだけど、日本は特に難しいねとおっしゃってました。

「人間生活の全体は寝台で始まり、そして(やはり通常の生活状態を前提とすれば)ふたたび寝台で終わっている。要するに寝台の中で周行、つまり一日の周行も人生の周行も完結しているのである」(オットー・フリードリッヒ・ボルノウ『人間と空間』大塚恵一、池川健司、中村浩平訳、せりか書房、一九七八年)
考えてみれば、一日だけでなく人生のスタートとエンドもまたベッドの上である。人間はこのベッドという装置を起点と終点におき、一日と、一生をすごすのだ。
(「ぼくが眠って考えたこと」空間の体験/イギリスの民宿より、P.055)

鍛治さん 寝室とは何か、その答はまだ模索中なんですよね。藤原智美さんの「ぼくが眠って考えたこと」のお話をする前に、睡眠文化研究会のライブラリーの蔵書の「同室同床異室異床」は、もう20年以上前に発行された本で、医師や社会学者、動物学者などさまざまな学問分野の論客が「眠り」について寄稿してます。この中で問われているテーマ、例えば夫婦はどう寝るかとか、未だに明確な答は出てないですよね。20年前も今も状況はほとんど同じなんですよ。まあ、人それぞれですから答は一つではないけれど、一般常識になるような定説ってないんですよね。社会環境はかなり変わっているはずなんですけどね。この本でトピック的に登場するDINKS(Double Income No Kids=共働き収入子どもなし)なんて言葉は既に懐かしい部類に入りますし。
あと、この本では、「主婦」を指す呼び名は、奥(さま)も(女)房も(ご令)室も新造も、すべて住まいの部位や建築用語から来ていると書かれています。大奥の名残の言葉が今も残っている。ちょうど、前々回から日本の住宅の歴史を振り返ってきましたが、そんなところも面白いなと思いました。

── まあ考えようによっては、個々の生活者はそれぞれのライフスタイルがあるから、自分たちにとっての理想の寝室を考えればいいと思うけれど、ライフスタイルの指針を示す暮らしのリーダー的な企業は、寝室に関してはどう扱うべきか、答を求めて日々苦労されているのだろうなと思います。

鍛治さん そうですね。

── 鍛治さんは睡眠文化の研究を始めた頃、こんなふうに歴史を遡ることになるって思っていましたか?

鍛治さん なかったですね~。「かつて畳が寝具だった」程度で、寝室の成立や歴史は未知の世界でした。後から関心が出てきた分野です。研究の中で期せずして興味を持つようになった分野は、ほかにもあるんですよ。
 私たちは自分たちの生活習慣の道具がスタンダードだと思い込みがちですが、睡眠はさらに閉ざされた空間の中での行為なので、人とどれくらい違っているか、なかなか分からないです。日本が当たり前なのか独特なのか、それまで知る機会がなかったため、寝具の輸出を担当する国際企業のマーケティングの担当者でも、この情報化社会の現代で「カルチュアショック」を感じるわけです。日本では売れ筋商品だった寝具が海外ではありえない品物だったりするわけですね。こんなので寝てる人はいないと……。こんな生活文化の違いがテーマになるとは、睡眠文化の研究を始めた頃は想像もしていなかったです。でも、これもまぎれもなく睡眠文化なんですよね。
 実は生活文化は日本国内でも地域差があります。睡眠をテーマにした話では、たいていお風呂が登場して、「快眠のためにはお風呂で湯船につかりましょう」と言われますが、沖縄ではそもそもバスタブある家が少数派ですから、そんな話は通用しないですよ。

── え、そうなんですか。

鍛治さん あと沖縄では年間通して羽毛布団がよく売れるそうなんです。冷房を使う時間が長いので外は暑くても室内は涼しいんですよね。それから、移動手段としての鉄道がないので、夜何時までに電車に乗らないと帰れないということがなく、時間を気にせずに深夜までお酒や食事を楽しめる環境にあるので、自然に遅寝社会になって、子どもも高齢者もけっこう夜遅くまで活動している。それで年代問わずついつい遅寝遅起になりがちで、暮らし方や県民の健康にも影響を与えていると言われています。
 国内でも生活文化には地域差があって、それを知らない人は多いですよ。北日本と南日本で、布団と掻巻(かいまき)の文化圏も分かれていますからね。関西の大学で掻巻の話をすると「?」になりますが、同じ講義を東京の大学ですると「ああ、知ってます。おばあちゃんの家で見たことがある」って話になります。

── みんな自分の寝室こそが普通だと思い込んでますからね。

鍛治さん 合宿とか修学旅行とか、大勢で寝る体験も少なくなってきましたし、自分の寝室で一人で寝て育った者同士が結婚するといきなり異文化交流みたいなことになるようですよ。

── 異文化交流(笑)。ただ欧米の「ベッドメイク」に関しては、わが家独特のスタイルではなく、ちゃんと伝統的なスタンダードのスタイルがありますよね。

鍛治さん 藤原さんの「ぼくが眠って考えたこと」にもベッドメイクの話が登場しますね。

(映画のシーンで)軍隊の兵舎でベッドメイクを終えた登場人物が、コインを取りだし板のように平らになった毛布にそれを投げつける。そしてシーツに跳ね返ったコインを宙でつかむ。それくらい硬く完璧に仕上げたというところを、コインを使って表現していた。なるほど、ベッドメイクとはそういうものなのかと感心した。ベッドとは、布団のように毎日押入れに出し入れせずにすむ簡便な寝具と思い込んでいたら、それはとんでもなく面倒で手のかかるものだったのだ。
(「ぼくが眠って考えたこと」空間の体験/スイートルーム、P.043より)

── そもそも藤原さんが睡眠に興味を持たれたのは、睡眠文化研究会の睡眠文化フォーラム*3に参加されてからだと前書きに書かれてますね。

鍛治さん 藤原さんは芥川賞作家ですが、フィクション以外でも、住まいと家族の関係を考察した「『家をつくる』ということ」(1997年、プレジデント社刊、後に講談社文庫)。「家族を『する』家」(2000年、プレジデント社刊、後に講談社+α文庫)を次々に上梓されていて、寝室空間にもご興味があるのではないかと、睡眠文化フォーラムでのパネリスト出演をお願いしたんですよ。その会場で話を聴いた雑誌編集者が、藤原さんに眠りの場の連載企画を提案して、その連載が書籍化されたもだと聞いています。

── 「ノマッド(遊牧的)の眠り、セダンタリー(定住的)な眠り」のテーマから生まれたルポルタージュなんですね。

たとえば山手線のなかでウトウトしている人がいる。彼(彼女)にとって、そこは移動空間であるのと同時に睡眠空間である。ときに「眠り」が「移動」にまさると、寝すごして慌てるということにもなる。そこはまぎれもなく眠りの専用空間となる。
 もちろん電車だけではない。客船、航空機、キャンピングカー、寝台列車など、眠りのプロパーともいえるさまざまな移動空間もある。
 さらに、ホテル、旅館はもとより、カプセルホテルといった現代的な睡眠の装置も都心にはあふれている。
 ぼくらはそうしたさまざまな睡眠空間を、移動しながらそのつど手に入れている。現代人の眠りをノマド的というのは、もっともは話である。たしかに人々は、遊牧民のように「移動しながら眠っている」といえるものだ。(中略)
 かつて住まいのなかに固定されていた睡眠が、拡張し外部へと飛びだしつつある。
 これは人がこれまで経験したことのない睡眠のスタイルである。眠りのありかたが根本からかわってしまいつつあるのだ。
 (「ぼくが眠って考えたこと」プロローグ、P.036-037より)

鍛治さん この本では、藤原さんご自身がいろいろな睡眠空間を実際に体験して書かれていますよね。睡眠の空間の話となると、どうしても「寝室」のありかたがテーマになりがちなんですが、藤原さんはそれにとらわれることなく、都市や移動の中に点在する現代(当時)の14の眠りの空間を採り上げています。

── 身近な場所が多くて、自分自身の眠りとしても実感できる本でした。

鍛治さん 中にはコンサートホールも眠りの場として登場しますからね。ヨットや山小屋はともかく、コンサートのような私たちが日常で体験する可能性がある機会も、実は睡眠空間になっていますよ、という捉え方も面白いです。「空間の体験」章の事例の最後には「住まいの寝室」にも触れていますが。

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