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暮らしのコツ

眠りの本棚 第十話

ユカ坐・イス坐

眠くならない本:ユカ坐・イス坐(沢田知子 著)

「思い起こしてみると、筆者(編集注:沢田知子さん*1)の幼少期の記憶の中には戦後の混乱期の暮らしの断片がわずかながら残っている。その貧しかった日本がしだいに豊かになる中で成長し、高度成長期のさなかで社会に出て、自分も居を構え、その後も住居やインテリアに関わる仕事に携わってきた。そんな筆者の中で、無味乾燥とした机上の歴史ではなく、時代時代の暮らしの息吹が感じられるようなドラマ「昭和記」を書き上げてみたい。そんな思いが膨らんでいたように思う。
本著のタイトルは「ユカ坐・イス坐」、内容は「ユカ式」と「イス式」の生活スタイルがいかに変容してきたかを軸に、日本人の住生活を浮き彫りにしたものである。」(あとがきより)

「ユカ坐・イス坐」

1995年 住まいの図書館出版局 刊

沢田知子 著  定価:2330円+税

目次 /第一章 イス式生活を理想に掲げて──大正時代の啓蒙 「二重生活」の廃止とイス式生活の奨励 生活改善同盟会による啓蒙 実生活におけるイス坐の進展/第二章 「ユカ坐容認」への軌跡──昭和初期の変転 中流階級における和洋折衷住宅の普及 「文化住宅」見直し論、海外からのイス坐移入 モダン住宅から国民住宅へ/第三章 再び、イス式生活の模索──戦後復興の中で 終戦直後の窮状と『これからのすまい』 婦人雑誌に見る生活革新のすすめ アメリカンライフへの羨望 公営アパートの標準設計と家具生産の再開 建築家の自邸に見る創造的な試み/第四章 豊かさを求めて「イス坐指向」──高度成長期の足跡 「2DK」誕生とイス式生活の普及 テレビの普及と家族だんらんの成立 耐久消費財の氾濫と居住空間の狭小化 応接セットの普及とリビングルームの要請 カーペットの普及とインテリアへの関心 「nLDK」平面の成立と高度成長期の足跡/第五章 くつろぎを求めて「ユカ坐」回帰──低成長期の展開 「洋室ユカ坐」の出現、「イス坐」の進展 フローリングの人気とくつろぎ指向 低成長期の衰退・逆転・混在現象/第六章 海外におけるイス式生活──住文化の相違 座のスケール・生活姿勢・ユカ面から見た欧米の室内 家具のしつらえ方と行動様式から見た欧米の室内/第七章 日本住宅のインテリア史──和洋混交の軌跡 日本住宅がたどった「和洋混交」 美しい日本住宅を求めて
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鍛治恵

かじ・めぐみ ● NPO睡眠文化研究会事務局長・睡眠文化研究家・睡眠改善インストラクター。寝具メーカー、ロフテーの「快眠スタジオ」での睡眠文化の調査研究業務を経て、睡眠文化研究所の設立にともない研究所に異動。睡眠文化調査研究や睡眠文化研究企画立案、調査研究やシンポジウムのコーディネーションを行なう。2009年ロフテーを退社しフリーに。2010年NPO睡眠文化研究会を立ち上げる。立教大学兼任講師。京都大学非常勤講師。立教大学ほかでNPOのメンバーとともに「睡眠文化」について講義を行う。
http://sleepculture.net/

キャプション

── 次は文化学園大の沢田知子教授の本ですね。「ユカ坐・イス坐」(住まいの図書館出版局刊、発売は星雲社)。沢田さんは日本人の都市生活をフィールドワークで調査してきたライフスタイル動向研究の第一人者ですよね。

鍛治さん そうですね。この本は寝室だけについて書かれたものではないけれど、でも寝室と地続きの話かなと思って紹介してみました。
 日本に中流家庭が誕生して以降のフィールドワークはいろいろ参考になりますし、家の中で「座る」という行為は寝転ぶ姿勢にもつながっていきますからね。日本は床に畳が敷き詰められた空間で床に近い位置で暮らしてきたので、暮らしの中の姿勢の重心は常に下のほうにあったと思うんですよ。そこに椅子が登場して日本人の暮らし方や暮らしの中の姿勢はどう変化したのか。しなかったのか。さまざまな角度から分析、検証していて、読み応えがありますよね。それ以外にも昭和の生活風俗や社会動向、消費材について言及しているページもあり、いろいろな事例が紹介されていて興味深いです。

── 温泉旅館なんかに行った時のことを思い出すと、床座=ごろ寝ですもんね。寝姿勢に自然に移行しちゃうというか。

鍛治さん ええ、椅子座はそういうわけにはいかないです。それと、この本を通して新たに知ることも少なくなかったです。

── 例えばどのあたりでしょうか。

鍛治さん 例えばですね……日本の中産階級でのカーペットの普及について。高度成長期の頃に憧れの生活機器として一気に普及した「クーラー、カラーテレビ、自動車(カー)」が「3C」とか「三種の神器」と呼ばれていましたが、雑誌「モダンリビング」の読者欄には「四番目のCは何か」とする投稿記事が載っていて、それがカーペットだったとはビックリです。

── 同じページで同時期の「暮しの手帖」の記事も紹介されていますがタイトルが「じゅうたんはタタミです」……。

『暮しの手帖』の昭和四十二年十二月号の記事は「じゅうたんはタタミです──主婦のためのインテリア入門」の記事をとりあげ、次のように述べている。(編集注:以下『暮しの手帖』記事からの引用です)
 戦後の私たちの暮しから、しだいにタタミが少なくなってきました。タタミが一帖もない家に住んでいるひとも沢山いるし、それを、だれも不思議に思わないようになっています。そうなると、西洋と同じように、板の間なりタイルを貼った部屋に、まずいっぱいに敷きつめるじゅうたんが必要になってきます。日本の家では、客間にだけタタミを敷くということはありません。それとおなじように、じゅうたんも、居間や寝室や勉強部屋など、これまでだったら、当然タタミを敷く部屋にも敷くのがほんとうです。(略)
 とにかく部屋いっぱいにじゅうたんを敷きつめてみると、暮しを豊かにすることがどういうことなのかが、ひとりでにわかってくるのです。
(「ユカ坐・イス坐」高度成長の足跡、より。P.159)

鍛治さん リビングの空間が床から新しくなっていったのがこの時代だったんでしょう。前々回の内田青蔵先生のお話の先にはこんな時代が訪れていたんだな~と。

── まさに昭和のライフスタイルって感じですね。でも、またフローリングや樹脂タイルの床が好まれるようになったり、畳が注目されたり……。

鍛治さん 戦後に「洋室椅子座」の暮らしを理想として高度成長期を迎え、その後の低成長期、安定期になると床座回帰の気分が高まってくる様子がね、私は割とリアリティを感じてしまうんですよ。

── 確かに椅子座でもソファの座面高はどんどん低くなる傾向にありました。1980年代後半くらいには座布団に近いくらいのソファも売られていました。

鍛治さん 話が少しそれちゃいますが、クッション付きの長椅子とテーブルは応接セットと呼ばれていましたよね。ソファ、アームチェア、センターテーブルは応接3点セットと呼ばれて、店頭でもセット売りが基本でした。で、驚いたのは、この本によると各メーカーで、それぞれ応接セットのブランド名があったんです。例えばマルニ木工なら「ベルサイユ」とか。

── ほかにも「地中海シリーズ」や、飛騨産業は「穂高」とか、それぞれブランドがありました。

鍛治さん 「ベルサイユ」は昭和43年(1968年)に発売されて大ヒットしたそうです。さらにですね、その前身のブランド名は「エジンバラ」ですからね。

── なかなか壮大なネーミングですね。当時の西欧への憧れを感じます。

鍛治さん 椅子座普及や暮らしの西洋化には憧れも必要だったのでしょうか。確かに西洋風の応接セットはよく売れたようですが、結局はそれ一辺倒にはならず、高度成長期が終わる頃には床座に回帰していったわけです。

── 日本には靴を脱ぐという生活習慣があることは大きいですよね。

鍛治さん そうですね。そこが大きく変わらない限りは床座はなくならないでしょう。

── ソファがあるのに座面には座らずに、ソファにもたれかかってコタツでミカンを食べる家もありますから。工夫してそうなったわけではなくて、心地良く暮らしてみたら自然にそんな姿勢になった……みたいな。室内でも靴を履いたままの暮らしならありえないですよね。ホットカーペットも靴脱ぎ生活ならではです。

鍛治さん 私は自宅をリフォームする時に、畳の部屋を残すか残さないかでちょっと迷ったんですよ。私も畳の家に育っているので、畳の心地良さはわかっていますから。でも、普段は椅子で暮らしているので結局は残さなかったですね。それでも疲れたり体調が悪い時はついつい床に寝転んでしまう。普段は椅子座でも平気だけど、そういう時は椅子に腰掛けるのはしんどい感じがするんですよ。不思議ですよね。この時の感じは、何か私たちの暮らす環境や風土に基づいているように思います。

── そうですね。ネコのように床に寝そべりたくなること、ありますから。あれは土足文化圏では考えられないかもしれない。

 いずれも、ある種の憧れや未体験なものへの興味から「応接セット」を導入するが、すんなり定着せず、これに従来の「こたつ」が合体して、折衷的なしつらいとなる経緯を浮き彫りにしている。そこで、この種のしつらいを筆者は「折衷型ソファ」と呼ぶこととした。(略)
 なお、現在の住宅におけるリビングルームの家具配置を詳細に調査してみると、この「折衷型ソファ」が驚くほど多く、もはや「新日本型座家具」の感すらある。いったんは導入されたイス式家具が放棄されたり、すんなり定着しなかったりすることは、「和室・洋室の使い分け」を混沌とさせていくことにもなる。
(「ユカ坐・イス坐」低成長期の展開、より。P.183)

鍛治さん 海外で距離は離れていても、同緯度で気候が似ていると割と同じような暮らしになることがあるんですよ。例えばイランのテヘランは東京とほぼ同じ緯度上にあります。冬は寒いし降水量が多いから雪も降る。イラン人の知人の話によると、イランでも家では靴を脱ぐし、冬はコタツのような「コルシ」という暖房器具に入って床座で暖をとるんですよ。黒海では魚も捕れますから、魚料理も多くて、距離は離れているけど日本の暮らしみたいですよね。

これが「コルシ」。PAYAM Ashena, 10/02/2011記事「Korsi Meets Facebook」より*2

── ホントだ。コレ、どう見てもコタツじゃないですか。

鍛治さん 以前、このイラン人と韓国人と、あと日本人を交えた座談会に出席したことがあるんですね。日本と韓国は東アジアで地理も文化も近いから、この二つの国とイランはいろいろ違うことは、誰もが想像すると思うんですよ。もちろん歴史的な文化の流れで共有している部分も多いけれど、メンタリティというかペーソスみたいな部分は、距離は近いけれど違いがあるんじゃないかという話になった。でも逆にイランは距離は離れているけど日本に近いと……。むしろ、どんな家に住んでどんな食事をして、どんなふうに暮らしているか、その共通項の過多が、人の価値観や情緒の共感にも影響を与えるのかもしれない。

── イランには親日家が多いと聞いたことがありますが、日常の生活習慣の近しさから、自然に考え方も似てきて、共感できる部分も大きくなったということなんでしょうかね。

鍛治さん 床座の文化がある点は韓国も日本と同じです。椅子座もあれば床座もある。ただ、韓国のほうが寒さは厳しいし冬は乾燥している。そこで冬の寝室、冬の暮らしを快適にするために輻射熱暖房の「オンドル」が普及したけれど、少し南に下ると冷気よりも湿気をどうするかが大事な問題で、日本ではその方向で日本なりの暖房器具が進化したと言われています。

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