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暮らしのコツ

── 社会制度の変遷と「快適」の変化という視点も面白そうです。

鍛治さん 人々のライフスタイルは予期せぬ要因による影響もあって、気候の変動も「快適」とは無関係ではないですね。実は中世は、特に17世紀頃には小氷期、ミニ氷河期と呼ばれる、世界的な気候の寒冷化があったんですよ。スイスの低地の農地がアルプスの氷河に飲み込まれたり、テムズ川もニューヨーク湾も氷結したと言われています。寒さが厳しいと、できるだけ囲われたところで暖を採りたくなりますよね。それと時代を同じくして、この時代には寝室も壁のくぼみにつくられるようになったと……。

 寝台をはめこんだ壁のくぼみなどはほとんど独立した寝室といえるが、その本格的なものは、ランブーイエ侯爵婦人の寝室に見られる。ローマからパリに移り住んだ夫人は、だだっ広くて、暖房設備のお粗末な寝室に寒い冬の間苦しんだ。
(第2章「中世の人々の生活」p.68)

── ミニ氷河期……。以前、神奈川大学の内田青蔵先生にお話をうかがった時は、明治から昭和までの日本の寝室の歴史を辿ったわけですが、さすがに大陸で500年くらい遡ると人の生活に影響を与える要因はいろいろありますね。

鍛治さん 18世紀になると、オランダで生まれた「家庭生活」と「プライバシー」が、イギリスやフランスで定着してきた様子が書かれています。さらには個室(寝室)を求める願望は、単なるプライバシーだけではなくなるわけです。

── ここで描かれているイギリスの家の寝室は、今日の寝室に近いかも。

鍛治さん 内田先生にお話をうかがった時は、眠りの専用空間をつくることは西洋の考え方で、明治時代の輸入の思想だったとおっしゃってましたよね。その原型ですね。

 家はディナー用、もてなし用、余暇のための公的な部屋に小分けされ、そのほかに家庭用の私的な部屋があった。子供たちは家庭で多くの時を過ごし、男女それぞれ専用の寝室を持ち、子供部屋や教室もあった。家庭内での生活は階下では公共の活動、階上では私的な活動というように縦に分けられ、「階上へあがること」あるいは「階下へ降りること」は来客などとの別れと出合いを意味していた。誰もが専用の寝室を所有した。その寝室は、子供たちの遊び部屋としても使われ、妻と娘たちは寝室を作業(裁縫、書き物)用として、また友人との親密な語らいtête-à-têtes(内緒話)の場として利用した。自分専用の部屋を持ちたいという願望は、たんなる個人的なプライバシーを守りたいという願望から生じたのではなかった。その持ち部屋願望は、家族のものがそれぞれ個人的な精神的営みを行うなかで、自らの個性を以前にも増して自覚し始めたことを反映したものであった。
(第5章「実用本位を心がけて──イギリスの家」p.131-132)

── さらに時代が進んで20世紀、1925年のパリ万国博覧会(通称アール・デコ博覧会)で、フランスのアール・デコ時代の代表的なデザイナーであるモーリス・デュフレーヌの展示「淑女の寝室(Chambre de dame)」に、イギリス人ジャーナリストが魅了される様子は、100年近く前の話なのに、書かれている内容は最近の話題のような感じです。中世の頃の様子を描いた個所と比べてみると……。

 そして夜になれば、いくつかのテーブルは片づけられ、寝台が運び出された。そのため、家具類の位置を不動にしようという考えは生まれなかった。中世の室内を描いた絵画を見ると、家具を行きあたりばったりに置いていたことがうかがえる。家具は不要なときは部屋の隅に置き去りにしていた。肘掛け椅子や寝台を例外に、中世の人々は個々の家具をそれほど重視していなかった。それぞれの家具は大事な個人の持ち物というより、道具として扱われていたのである。
(第2章「中世の人々の生活」p.50)
 博覧会で陳列された部屋は、視覚から得られる豊かさと喜びへの賛歌だった。たとえば、エレガントなパリのデパート、ギャルリー・ラファイエットで仕事をしていた装飾美術家モーリス・デュフレーヌは、淑女の寝室をデザインした。この見事な舞台装置に魅了された、あるイギリス人ジャーナリストはこう書いた。「この素晴らしい部屋は天井の卵型の引っ込みから照明され、淡黄褐色の薄い色調の流れるようなラインで構成されている。しかし、ひときわ目立つのは、清潔でしかも快い広がりのなかで、寝台と向かい合った見事な円形の鏡のあたりで波のようにうねり、光り輝く装飾品だ。この“婦人の部屋”は、優しく上品にカーブする曲線が実に効果的で、視線は、アルコーブの引っ込み内に安置された高さ一フィートの壇上に落着くまで、その曲線の間をぬうようにさ迷う。アルコーブ自体は、しぶきを上げて放射する銀色のフォルムに包まれ、女性らしい雰囲気が漂っている。床の半分は、巨大な白熊の皮の敷物でおおわれている。飾り房のついたぶ厚い銀白色のローブは、白熊の鼻のあたりで結び目がつくられている。バラ色と象牙色のご婦人の足が、そっと、優雅に、途方もなく大きな真っ白の毛皮に沈む様子が目に映るようだ!」。
(第8章「室内を飾るにふさわしい様式とは」p.194-195)

鍛治さん ヨーロッパでは椅子も最初はスツール型だったのが、クッションが採り入れられて安楽姿勢がとれるようになってきたといわれています。かつてはベンチには多くの機能が集約されていました。昼間は座って作業や書き物をしたりして、夜はその上に寝床をつくり眠るとか。ところが椅子の上にクッションを載せるようになると、それを椅子と一体化させて、現在のソファの原型ができるわけですね。快適なものを知ると後戻りはできないですから。

── 中世の頃は、キリスト教の影響で快楽が戒められた時代もあったようです。

鍛治さん この本では、中世の人々は寛ぎを知らなかったのではなくて、安楽を必要としなかったと書かれていましたね。もし何か求めるものがあれば、その必要に応じて形になって家具や道具になったのでしょうね。カレン・ブリクセン(イサク・ディーネセン)の小説を映画化した「バベットの晩餐会」は、19世紀のデンマーク・ユトランドのお話ですが、質素で慎ましい生活を尊ぶ北欧の人々が、バベットが用意した食材の豪華さに驚き、天罰を恐れて、彼女がつくる食事を頑なに拒む様子が描かれていますね。最後は打ち解けて食事を楽しむわけですが。

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── 「バベットの晩餐会」では食に対して禁欲的で誠実な人々が、元名シェフのバベットが取り仕切る晩餐会で、まさに味蕾が開き、美食に対して無教養であっても、体験を通して食事の意味に気づくわけです。鍛治さんはよく「食事と食文化」と「眠りと睡眠文化」を比較して、睡眠文化とは何かを説明してくださるのですが、確かに「食」は誰もが取っ付きやすいジャンルですから、わかりやすいですね。

鍛治さん そうですね。飲食に睡眠。いずれも生物が生存していくうえでの基本的な欲求ですよね。わかりやすいのは「食」ですが、食事には大勢で分かち合って食する喜びや、栄養にはならないけれど甘いスイーツを頬張る楽しみがあります。生きるための生理活動以外に楽しみとして捉えられる段階がある、それが食文化なのだと思います。いっぽうで「バベットの晩餐会」のように、宗教という文化によってタブーとされた習慣を体験することで楽しみを知る、これも文化なのです。睡眠にも同じアナロジーが応用できて、昼寝や朝の二度寝は、とくに二度寝は科学的見解からしたら止めるべき習慣ですが、別腹スイーツのような快楽ですよね。
1980年代から「グルメ」という言葉とともに、世界のさまざまな地域の、多様な料理を味わう楽しみが日本にも広がりました。睡眠も多様性があって、それを楽しむという段階になり得ます。たとえば四季のある日本で、夏は熱帯地域の睡眠環境を取り入れ、冬は北ヨーロッパの睡眠習慣を取り入れるといった感じに、眠る楽しみに積極的になるというのも、よいのではと思います。

── なるほど。「心地よいわが家を求めて―住まいの文化史」はホントに面白い本でした。今回もありがとうございました。

※ヴィートルト・リプチンスキー(Witold Rybczynski)

建築家、建築学者、エッセイスト。ペンシルベニア大学名誉教授。1943年、スコットランドのエディンバラ生まれ。1966年にカナダ・ケベック州の名門校マギル大学で建築学を学び、72年に修士に。建築、住宅、住宅関連技術などの分野で、これまで300以上のエッセイ、論文を執筆してきた。ペンシルベニア大学工学部デザイン大学院で教鞭を執り、現在は同大学の名誉教授。著作での受賞歴多数。日本語訳されている著書は「心地よいわが家を求めて―住まいの文化史」のほか、「ねじとねじ回し この千年で最高の発明をめぐる物語」(春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF)、「完璧な家」(渡辺真弓訳、白水社)、「週末は、たのしい。」(岩瀬孝雄訳、ジャパンタイムズ)、「建築の見かた」(鈴木博之訳、白揚社)。
http://www.witoldrybczynski.com/

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