創業1941年の東京中野にある果物店「フタバフルーツ」は地元住民に長く愛され、現在は三代目の成瀬大輔さんが店を切り盛りしている。戦争の時代に店を開業した祖父は、フルーツで人々に喜びを感じてもらい、心豊かに暮らせる時代がくることを願っていた。
先代の想いを継ぐ成瀬さんは、従来の果物店の枠を超えてさまざまな異業種とコラボレーション。フルーツのおいしさと楽しみ方を幅広く伝えている。新しい挑戦を続ける先にどんな未来を思い描いているのだろうか? 成瀬さんにとってのLONGLIFEとは何か話を伺った。
戦時下でも強くたくましく生き、フルーツのおいしさで人びとを笑顔にしていきたい。祖父のそんな想いから、開業当時人気だった横綱「双葉山」にちなんで「フタバヤ」と命名した果物店には、いつも街の人たちが集まってきた。
創業当時のフタバヤ
「戦後の貧しかった時代、祖父は近所の子どもたちにアイスキャンディを振る舞い、店内にテレビを置いて相撲中継を流していました。商売だけでなく娯楽も提供する場として、街の活気を取り戻したかったんでしょうね。仕事には厳しい祖父でしたが、いつもお洒落で流行にも敏感で、あそびのある人生を楽しんでいました」。
当時から高級フルーツは贈答品として人気が高く、慶事や弔事など特別な場面でも重宝され続けてきた。フルーツは目にも心にも優しく、人と人を和やかにつなげる力があるのだ。
「家業は長男が継ぐのが当たり前の時代でしたから、祖父の背中を見て育った父は18歳で二代目になりました。父に嫁いだ母の実家も果物店だったので、夫婦で朝早くから働いて、僕が赤ちゃんの頃はリンゴ箱で毛布にくるまって寝かされていた写真もあります(笑)。昔馴染みのお客さんは僕を『大ちゃん』と呼んでくれて、僕より店の歴史に詳しい人もいますね」。
フタバフルーツの後継者は「大ちゃん」だと思っていた街の人も多かったはずだ。しかし、厳しかった祖父の反動のせいか父は「無理して継がなくていい」と、好きにさせてくれた。
おかげでサーフィン、スノーボード、音楽に夢中になった成瀬さんは、短期仕事を転々しながら遊びに明け暮れていた。転機が訪れたのは30代半ばの頃だ。
「サーフィン仲間の先輩から、『果物屋は将来どうするの?』と聞かれた時、『いつかカフェか飲み屋にでもしようかと思って』と答えたんです。
そしたら先輩が『バカだなぁ。みんなが簡単に手に入らないものを、お前はすでに持ってるんだよ。何かわかるか?』って。
『多くの人に愛されてきた果物屋には、先代が築いてきた長い歴史がある。その歴史に本気で向き合ってから終わらせるのと、向き合いもせずに終わらすのとでは全然ワケが違うんだよ』と。その言葉に、ハンマーで頭を殴られたような衝撃を受けました」。
それからフタバフルーツの歴史に向き合い、未来へつなげていくために、2006年に三代目を受け継ぐことを決意。同時に、試行錯誤の日々がはじまった。
祖父が望んでいた豊かな暮らしは実現したものの、人びとの心は豊かになっているだろうか?フルーツの力で、まだできることがあるんじゃないか?
自問自答を繰り返した成瀬さんが出した答えは「人と人とがコミュニケーションできる場をフルーツ中心で作り上げること」だった。
「カラフルなフルーツを見て、触って、味わって、香りを感じて、音楽を聴いて、五感でたのしみながらいろんな人と語り合える。そういうイベントをはじめました」。
若い頃に本気で遊び尽くした経験から生まれたアイデアはすぐに評判を呼び、イベントだけでなく展覧会などへのケータリングもはじめるようになった。
「人が集まる場にフルーツがあるだけで華やいだ雰囲気になり、みんな笑顔になって喜んでくれます。メイン料理にはもちろん、お酒にもデザートにも合うフルーツを中心にして、人と人との輪が広がっていくんですよね」。
見ても食べても心が弾むフルーツは、暮らしの名脇役でもある。リビングやダイニングにフルーツがあるだけで、日常の生活空間も一瞬で明るくなる。
1つ1つ色も形も違う個性と魅力あるフルーツを、「特別な食べ物としてではなく、もっと身近に味わってもらうのも僕の役目だと思ってます」と成瀬さん。
仕事は順調だったが、イベント関係はコロナ禍で激減。しかし、人生を楽しむアイデアを考えるのが得意なところこそ三代目の強みだ。
「コロナ禍でイベントが減り、店に立つ時間が長くなって、その間少しでももっとフルーツを暮らしに取り入れることの良さを広げられる方法をずっと考えていました。フルーツは足がはやいけど、ゼリーやアイスにすれば家庭でも長く保存できておいしく食べられると思って、フルーツを加工する自社工場を作ったんです。最近では、仲間のパン屋さんと開発したフルーツサンドも好評ですよ」。
自社工場で作った、フルーツゼリーとパン生地に野菜を練り込んだフルーツサンド
最近は、調理学校の学生たちにフルーツを使った料理を作ってもらう取り組みもスタート。その中からコンテストで選ばれたものを、フタバフルーツとさまざまな企業とコミュニティ空間を作るのを得意とするカフェ・カンパニーがコラボレーションして店舗展開している「フタバフルーツパーラー」のメニューに取り入れている。
三代目になって18年。立ち止まることなく新たな挑戦を続ける成瀬さんにとってのLONGLIFEとは何か? その問いに対する答えは、未来のために種をまくことだと語ってくれた。
「僕の仕事が成功したことを喜んでくれていた親父は6年前に他界しました。最期に病床から電話でイチゴの注文したあと意識がなくなったんです。あの時は、絶対にかなわない果物愛を見せつけられたな……と思いました。でも僕は僕なりにこれまで新しくまいてきた種が、今、次々に実を結んできているんですよね」。
これからは、個人経営が多い果樹農園をサポートする取り組みも始めたいと話す成瀬さん。「桃栗三年柿八年」といわれるように、樹を育てるのにも長い年月がかかる。その前に、いい種や苗を仕入れる必要もある。そこで、種や苗を売る会社と農園をつなぐ仕組みも考えたいのだという。
「栽培方法にもそれぞれこだわりある果樹農園の継続こそが、フルーツ王国・日本の心豊かで幸せな暮らしを守ることにつながっていきます。だから僕はこれから、フルーツを売るだけでなく、そのストーリーを伝えることを今まで以上に重視していきたいですね」。
そう語る表情は、南国のフルーツのように明るく情熱的だ。
農園が丹精込めて作ったフルーツに多くの人が出会って笑顔になれるように、さまざまな可能性の種をまき続ける。
こうして先代から受け継いだ想いを、未来へとつないでいくこと、それが成瀬さんにとって現在進行形のLONGLIFEだといえるだろう。
フタバフルーツ : https://web.futaba-fruits.jp/
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