日本の夏の風物詩として彩りを添えてきた国産の線香花火には、かつて消滅の危機があった。消えかけた火を受け継ぎ、再び命を吹きこんだのは、筒井時正玩具花火製造所の3代目、筒井良太さんだ。線香花火を未来に残すことで守りたい、日本の夏の情景とは。
浮世絵にも描かれる線香花火。火薬部分を上に向けて楽しむ「すぼて花火」に興じる女性たち。
― 絵本十寸鏡(えほんますかがみ), 1748年 西川祐信,絵図提供:筒井時正玩具花火製造所
線香花火の歴史は約400年前、江戸時代に始まった。以来、暮らしの中で親しまれてきたが、国産製品は安価な海外製品に押され衰退の一途をたどってきた。2024年現在で国産の線香花火を製造している会社はたったの2社。その内の1社が福岡県みやま市に拠点を置く筒井時正玩具花火製造所、良太さんの祖父にあたる筒井時正さんが1929年に創業した会社だ。創業以来、線香花火以外のねずみ花火や縒(よ)り花火を作り続けてきた同製造所が、線香花火づくりに踏み切ったのはなぜだろう。
「海外製品の台頭を受け、叔父が営んでいた当時国内唯一の線香花火製造所が1999年に廃業することになりました。このままでは子どもの頃から親しんできた日本の線香花火が失われてしまう。その危機感と使命感から、線香花火づくりの技術を受け継いで次の世代に伝えたいと思ったんです」。
消えてしまう運命にあった国産の線香花火を救うべく、技術の継承に踏み切った良太さん。
しかし、90年以上に渡って受け継がれてきた技術の習得は、決して平坦ではなかった。
線香花火の火薬は、硝酸カリウム、硫黄、そして松を燃やしてできた煤(すす)の松煙(しょうえん)と、3つの原料を混ぜ合わせてつくられる。火薬の配合率は花火の命そのもの。一子相伝で受け継がれる職人技は門外不出で、親戚であっても例外はなかった。
「結局、火薬の配合率だけは最後まで教えてもらえませんでした。きれいな火花を咲かせる配合率を見つけるまでに試行錯誤しましたね。原料はどれも自然のものなので、油分の量によって火のつき方が強くなったり弱くなったりするんです。20年かけてようやく最適な配分が見えてきました」。
配合したての火薬は若々しくて炎が安定しないため、1年寝かせる必要があるという。その火薬を和紙に包んで一本一本縒り上げることで、ようやく線香花火が完成する。その手仕事を担うのは、30名ほどの職人さんだ。
写真提供:筒井時正玩具花火製造所
「簡単そうに見えて、実は1000本くらい縒らないと一人前にならないほど繊細な技術なんです。パウダー状の火薬の量は、サジで0.08g。たった0.01g多くても少なくても火花の飛び方が変わってきます。湿度が高いと火薬が湿気を吸ってくっついてしまったり、乾燥しすぎると縒りづらくなったりするので、機械には任せられない仕事ですね」。
屋号の「時正」をベースとしたロゴマーク。「正」を囲む模様の数を数えてみると…?
受け継いだ伝統を守るために、2009年頃にはリブランディングを実施。スタイリッシュでユニークなデザインの商品は卸問屋だけでなく雑貨店やセレクトショップなどで扱われるようになった。
「クジラをモチーフにした『鯨花火』や富士山のかたちの『花富士』などは、玄関や書斎のちょっとしたスペースに置いて、インテリアとして飾ってくださる方もいるそうです」。
「伝統を守るために必要なのは『保守』ではなく『革新』の積み重ねだと考えています。どんなに優れた技術だとしても、選んでもらえなければ伝統は途絶えてしまいますから」。
先人の知恵が息づく革新的な商品の数々は、多くのファンの心を掴んでいる。
ところで、線香花火には2種類あるのをご存じだろうか。和紙に火薬を包む「長手牡丹」と、ワラスボ(藁の柄)の先に火薬を付ける「スボ手牡丹」だ。なかでも300年変わらない線香花火の原型とされる「スボ手牡丹」は、国内で生産できるのは筒井時正玩具花火製造所のみ。その技術を守り、原材料であるワラを得るために、良太さんは花火製造所らしからぬ取り組みを始めた。
東日本で親しまれる「長手牡丹」(左)と、西日本で主流の「スボ手牡丹」(右)。
「スボ手牡丹は、米づくりの副産物であるワラを使ってつくります。もともとワラぼうきをつくる際に残ったものを原料にしていましたが、ワラぼうき自体の生産が減っていて、原料が入手しにくくなってきました。それならば自分で米をつくってしまおうと考えたんです。地元の農業協会からは『なんで花火の製造所が田植えするの?』と不審がられましたね(笑)」。
線香花火の生産には、ただでさえ手間も時間もかかるというのに、さらに米づくりまで。そのバイタリティはどこからくるのだろうか?
「花火を見て夏が来たと感じたり、線香花火の匂いに懐かしさを感じたりというのは、日本人特有の情緒だと思うんです。それを未来につなげていきたいという思いが原動力になっているのかもしれません」。
一度は途絶えそうになった線香花火。未来につなげるために必要なことは、技術の継承だけではない。花火を楽しめる場を作ることも必要だ。
写真提供:筒井時正玩具花火製造所
「昔は近所づきあいが当たり前にありました。花火をしている子どもたちがいれば微笑ましく眺めていたものです。でも、今は隣人との関わりが薄くなってきて、花火を騒音として感じてしまう人もいるのかもしれない。花火ができる場所はどんどん制限されてきています。夏くらい、子どもたちに花火をさせてあげたいじゃないですか」。
子どもたちに花火を体験してもらい、人と人との交流をつくる機会を提供したいという思いから、良太さんは花火づくりなどのワークショップを開催している。
「花火づくりを通して、火の扱い方、火花の散り方、火薬が燃える匂いを経験的に学んでもらえるようなワークショップです。私が子どもの頃は花火が身近にあったので、遊びながら自然と身につけてきたように思います」。
幼少期の花火体験は記憶に残るもの。線香花火の火花が散る音や、火薬の匂いをきっかけに、子どもの頃に家族や友達と過ごした夏の日の思い出がよみがえる、という人も多いのではないだろうか。花火は人と人、そして記憶をつないでくれる、小さなタイムマシンのようだ。
国産の線香花火を継承し、未来へつなぐ筒井時正玩具花火製造所にとってLONGLIFEとは何だろうか。
「私にとっては、線香花火そのものかもしれません。線香花火は、人の一生に例えられることもあるんです」と、話してくれた。
「点火とともに、命が宿ったかのような火の玉ができる『蕾』は幼少期。大きい火花が出る『牡丹』は青年期。火の勢いが増す『松葉』は壮年期。小さな火花が散っていく『散り菊』は老年期に例えられます」。
左から、「蕾」、「牡丹」、「松葉」、「散り菊」 写真提供:筒井時正玩具花火製造所
この呼び方にもともと「蕾」はなかったが、良太さんがアレンジして加えたという。
「私たちは最初に命が宿る火の玉がとても大事だと考えているので、『蕾』を入れました。線香花火は蕾ができたら、あとは咲いてくれるから」。
国産の線香花火に再び火を灯した筒井時正玩具花火製造所では、今、新たな「蕾」が膨らみはじめている。
「私のあとには、長男が4代目を継ぐことになっています。今は世界一大きい花火といわれる4尺玉をつくっている新潟の花火屋さんで修行中ですが、来年には戻ってくる予定です」。
世界一大きい花火と、世界一小さな花火をつくる技術を学ぶ4代目によって、新しい視点での花火が生み出される日も近いかもしれない。その蕾は、どんな花を咲かせるのだろうか。
筒井時正玩具花火製造所:
https://tsutsuitokimasa.jp/
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