家庭、公園、学校、さらにはオリンピックなど世界で行われるスポーツ会場——。人々が集う場に置かれた時計に記された「SEIKO」の文字を、見たことがある日本人は少なくないだろう。明治時代に「服部時計店」として誕生した小さな時計店は、規模を拡大しながら、現在の「セイコーグループ」として発展し、日本のみならず世界の人々の生活を支えてきた。同グループの中でクロック(置き時計や掛け時計など)を製造しているセイコータイムクリエーションのLONGLIFEには、暮らしの中心となる存在を作ることへの並々ならぬ思いが詰まっていた。
語り手:広報室部長 齊藤輝明さん、マーケティング企画部 主査スペシャリスト/デザイナー 嶋村勝巳さん、セイコーグループ 広報部 五十嵐万葉さん
1897年ごろの精工舎(墨田区)。ムーブメント(機械体)から外装まですべて自社で作る方法を採ることで、高品質な掛け時計を大量に製造していた。
セイコーグループの歴史は1881年、創業者の服部金太郎が服部時計店を立ち上げたことに始まる。季節によって昼夜の長さが違う不定時法から、365日同じように時を刻む定時法への大転換を迎えてから8年後のことだった。
「生活における時間の概念が変化するなかで、市井(しせい)の人々にも時計が求められていることを目の当たりにしたんですね。人々の暮らしに貢献することができそうだと考えた金太郎は、自ら時計店を立ち上げました」(五十嵐さん)。
はじめは輸入時計の販売や修理を生業にしていたが、金太郎は製造部門として精工舎を立ち上げ、自社製品で世界の市場を目指した。優れた経営者だった彼の言葉は、今も変わらずセイコーグループに深く浸透しているという。
「たとえば『品質第一』や『顧客第一』は我々の仕事の大前提ですし、『常に時代の一歩先を行く』という言葉も大切にされています。商売人として二歩先では予言者になってしまうと考え、顧客のニーズを確実に読んできた金太郎ならではの言葉です」(齊藤さん)。
セイコーがブランドとして確固たる地位を築いた要因は、こうした金太郎の真摯なあり方や徹底した「まじめさ」にある。それが如実に表れているのが、クロックの裏側にある壁掛け用の穴の部分だ。
「落下による事故を防ぐために、ただの丸穴ではなく壁のネジから抜けにくい形状を採用しています。研究所をお借りして耐震テストも行い、ある程度強い揺れにも耐えられることを確認しているんです」(嶋村さん)。
「KS474M」の裏側/「息吹」専用に設計された外箱 写真右提供:セイコータイムクリエーション
さらに驚くべきは、外箱にも設計者がいることだ。輸送の際の破損を防ぐためには、適当な箱では心許ない。お客様に高品質なクロックを確実に届けるために、見えない部分にも手間やコストをかけてこだわり抜く。この姿勢こそが、セイコーグループの核だと言えるだろう。
ロングセラーの多いセイコーのなかでも長い歴史を誇る商品、「KS474M」。グッドデザイン賞のロングライフデザイン賞を受賞し、SNSでもインテリアにこだわる生活者たちに「レトロでかわいい」「おしゃれ」と取り上げられることが多い。もともとはバスや船舶に使われていた業務用クロックで、偶然バス内で目にした『暮らしの手帖』初代編集長の花森安治さんに見初められ、誌面で紹介されたことで家庭へと広まっていった。1960年代のことだ。
「こちらからプッシュしたわけではなく、まさに見つけていただいたという感じですね」(齊藤さん)。
KS474Mが多くの人々に支持されたのは、文字板に置かれた数字のデザインもあるだろう。丸っこいフォルムが印象的だが、視認性の高さにこだわった結果のデザインでもあるという。
「じつは数字をそのまま丸く配置するだけでは見た目のバランスが悪く、視認性も落ちてしまうんです。数字ひとつひとつ、縦横比を変えたり置く場所を調整したりすることで、どこからでも見やすく美しい文字板を作っています。……とはいえ、これはKS474Mに限らずクロックの基本で、特別なことではないんですが」(嶋村さん)。
よく見るとユニークな形の数字が並ぶ。縦横比やサイズなど考え抜かれ、バランスよく配置されているという。
遠慮がちな言葉のとおり、セイコーはKS474Mに詰まったこだわりを社として外に発信したことがないという。すべて「クロックを製造するメーカーとして当たり前のことだから」と、どこまでも控えめだ。それでも、KS474Mがロングライフデザイン賞を受賞した理由を聞くと、胸を張って「デザインの力だと思います」という言葉が返ってきた。
「レトロではあるけれど、普遍的で古びない。業務用として機能を突き詰めて作ったものだからこそ余計なものが足されず、結果的に洗練されたデザインになったんだと思います」(五十嵐さん)。
KS474Mのデザインの骨格は戦前から変わっていない。デザイナーがだれなのかも、もはや記録が残っていないのだとか。それほど歴史のある商品なのに、今の時代にも支持されているのには理由がある。
「長生きする商品には、人に訴えかけるものがあるんですよね。逆に、そうでなければあっという間に消えていく。簡単には飽きられない、時代を超える商品を作りたいといつも思っています」(齊藤さん)。
2023年、機械式の掛け時計「息吹(いぶき)」が誕生した。アイボリー色の文字板が美しく、背の部分は成形合板のスペシャリスト、天童木工のプライウッド*による見事な弧を描く。すべての製造工程が日本で行われているという「息吹」の最大の特徴は、ムーブメント(機械体)に電子部品を使っていないことだ。軸受けの石(ルビー)を除き、すべて金属で作る機械式掛け時計の発売は、およそ50年ぶりのことだった。
*芯材に薄くスライスした木材を積み重ねて接着した合板
「機械式の時計を復活させよう、というプロジェクトが社内で起こったんです。仕組みはわかっているので修理はできるのですが、一から機械式時計を作るにはやはり実際に手を動かす経験や図面を読み解くスキルが必要です。このままではセイコーから機械式のクロックを製造するノウハウが完全に失われてしまう危機感があって。かつて設計を担当していた大先輩や図面から技術を継承できる、ぎりぎりのタイミングでした」(嶋村さん)。
電子部品は時代と共に廃番になっていくもので、しかも大量生産が前提のため、部品が用意できず修理をあきらめざるを得ないことも多い。一方、金属で作られた機械式なら、たとえば歯車が壊れてもその部品を1つから作ることができる。職人の手にかかれば100年前の商品も修理できるし、技術さえ継承していれば100年後にも使い続けてもらえると嶋村さんは力強く語る。
「私たちが大先輩の作った昭和初期の時計を直すように、未来の職人が『息吹』の修理を手がけてくれるでしょう。機械式なら、その時代にいるだれかが直せるんです」(嶋村さん)。
精工舎が最初に作った商品も、機械式の掛け時計だという。「息吹」は、脈々とつづいてきた技術と「人々の生活を支えたい」という金太郎の思い、つまりセイコーグループのDNAが詰まった商品だと言える。
「たとえば日曜の晩に、お子さんが息吹のぜんまいを巻く。そんな光景が家族の思い出になるといいなと思うんです。クロックは家族全員が目を向けるものであり、生活の中心にあるものでもあります。そこから生まれるコミュニケーションも多いでしょう。ご家庭の歴史を見守る中心的な存在になってほしいと願っています」(齊藤さん)。
「じつは、取材のお話をいただいたときから、わたしたちのLONGLIFEについてずっと考えていたのですが……『わからない』んです」(齊藤さん)。
新卒でセイコーグループに入社して以来ずっと時計のことを考え続けてきた齊藤さんは、真剣な表情でその言葉の意味を教えてくれた。
「クロックは一度買うと長く使っていただけるものですし、長年カタログに載り続ける商品も多いですから、LONGLIFEは我々にとってあたりまえの概念なんです。すべての前提であるからこそ、うまく言語化できなくて」(齊藤さん)。
売上ももちろん大事だけれど、自分が携わった商品が長く残ることが誇らしい。長くあり続ける時計こそ、いい時計。——そんな価値観が浸透しきっているからこそ、「わからない」のだろう。そして、クロックがこうしたLONGLIFEな存在であるために欠かせないのが、やはり修理だという。
「たとえば腕時計は『個人のもの』であることがほとんどですが、クロックは『場のもの』。結婚や出産、新規開店など人生の節目のギフトになるからこそ、修理の依頼も多いんです」(齊藤さん)。
近年、各地で起こった震災後にもたくさんの修理依頼が届いたという。家族を見守ってきたものだから、「壊れたから捨てる」とはならないのだろう。
「内側は直しても、外側はぴかぴかにせずそのままでお願いします、と言われることも多いです。傷や色あせも、家族の歴史なのでしょうね。大切にしていただいてきたんだなと感じます」(齊藤さん)。
童謡『大きな古時計』にも、「うれしいことも悲しいことも みな知ってる時計さ」という歌詞がある。時を刻みながら、家族の思い出を刻む。そこで暮らす人たちの視線、そして思いを受け止める。
セイコーが生み出すクロックとは、LONGLIFEそのものなのだろう。
セイコータイムクリエーション:https://www.seiko-stc.co.jp/
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