週末の夜、帰宅してテレビをつけたら椎名林檎さんがインタビューを受けていた。
まもなく椎名さんは、みずから綴ったという日記を朗読しはじめた。
今年2月某日に書いた日記が画面に映し出されたとき、その文章が刺激的だったので慌ててペンを取った。
「叔父の葬儀。湿っぽさはなく、明るい会だった。故人の生き方によるものだろうか。我々もぜひ、『死ぬまで現役/死んでも痛快』て感じで面白可笑しく生き抜きたい」。
そのあと画面にはふたたびインタビューを受ける椎名さんの姿が映し出された。
彼女は日記文を捕捉するように、こんなことを語っていた。
葬儀に来た人たちはみな、亡くなった叔父がやりたいことをすべてやり抜いたのだと思ったから賑やかで楽しく過ごせていたのだろう、と。
わがままに生きた人のほうが、見送るほうも楽しい。
だから自分もそういう風に生き抜くことができればいいなと思う、と。
結婚と出産を経て、デビュー20周年を迎えてもなお、時代に刺激を与えつづけるアーティストの言葉には説得力があった。
彼女や彼女の叔父さんのように、わがままに、エキサイティングな人生を送り、つねに刺激を受け、刺激を与えつづける男でありたい。
男を奮い立たせる家とは
世の中ますます便利になっている。
ネットのなかでモノやお金が流れ、ほしい情報も瞬時に手に入る。
その一方で、温度を感じられない、ときに無責任な言動や情報に支配されやすい社会になったともいえる。
五感を研ぎ澄まし、自分の判断で善悪を見分けることのむずかしい、その意味では不便な世の中が訪れている。
だからこそ、直接的なふれあいを大切に、みずからの目で確かめ、みずからの手で創り、みずからの言葉を紡ぎながら、つねに刺激を受け、刺激を与えられる男でありつづけたい。
そんな男の人生を支えてくれるもっとも近しい存在は、同じ屋根の下で暮らす人たち。
われわれサラリーマンにとって、そのほとんどのケースが家族だ。
家族との暮らしなくしてエキサイティングな人生はない。
家を建てる際にまず千思万考すべきは、そのことだろう。
そんな家の実現には、具体的に以下五つの条件が必要だと考える。
一つ目に、広い狭いにかかわらず可変領域が広い住処であること。
人生の節々で変わっていく家庭環境にフレキシブルに対応してくれる家を探すことからはじめたい。
たとえば、息子や娘が家を離れたあとで子供部屋をギター部屋に改造したいとか、リビング全体をブルカラー調のインダストリアル空間にリノベしたいなど、さまざまな変化に対応してくれ、わがままな望みもクリアしてくれる一軒家が理想だ。
二つ目に、自分の居場所を確保できること。
ガレージ、階段下、パーソナルスペースなど、狭くても良いので男の隠れ家のような居場所をきっちり確保したい。
それだけは譲れない、子供の頃からの夢をかなえてくれる場所であり、ときに現実からエスケイプし、ヒートアップした脳をクールダウンできる場所でもある。
三つ目に、自然の恵みを享受できること。
エキサイティングな暮らしは都市部に拠るので、ときに喧騒からエスケイプし、週末にBBQを楽しんだり、深夜バーボン片手にひとり星空を眺めたり、家に居ながらにしてアウトドアを感じられる時空間がほしくなる。
アウトドアリビングはマストだ。
四つ目に、ゾーンで暮らせること。
家庭の現実に直面し、その必要性に迫られている読者も多いにちがいない。
思春期をむかえた娘や、反抗期に入った息子とのコミュニケーションは、愛犬や愛猫とのふれあいよりもはるかにむずかしい。
食卓で面と向き合っても話は弾まないし、子供部屋には立入禁止の張り紙が貼ってあるし...。
少し距離を置いたほうがずっと話しやすいのだろうが、「階」や「部屋」単位で仕切られた家では、そんな微妙な距離感で接する機会はなかなか作れない。
プライベートを確保しながらも、自然なかたちで家族と一体感をおぼえる共有空間がほしいのだ。
五つ目に、以上四つの条件を満たすのに十分なロングライフ・シェルターの機能をもっていること。
建物自体がしっかりしていなければ、元も子もない。
これらの条件を満たす家として、ヘーベルハウスに勝る都市型住宅は見当たらない。