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借地権はこうして生まれた~借地の歴史と立法の背景~

借地

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2009年7月 1日

借地権はこうして生まれた~借地の歴史と立法の背景~

前回は、借地権の基礎知識について解説しました。そもそも、なぜこのように問題が多く起きる「借地権」が生まれたのでしょう? そこで今回は、土地を貸す側(地主)と借りる側(借地人)の現在の立場や権利が、どのような経緯で成立したのか、そこにはどのような歴史背景があり、法律があったのかを見ていきます。トラブルが多いといわれる借地ですが、歴史をひも解いていくと意外な発見があるかもしれません。

江戸時代、「資産家」は土地持ちよりは家作持ち!?

時は封建の世、江戸時代。諸国では農民は土地に縛られ、田畑を耕し作物を収穫し、領主である大名に年貢を納めていました。しかし、現代風に土地の所有権を持っていたわけではありません。農地の耕作をお上(かみ)に認めてもらっていたという感覚でしょうか。

一方、江戸のような都会では、大名、旗本たちは幕府の許しを得て、大きな武家屋敷を構えていましたが、庶民は下町の限られた地域に密集して住んでいました。そのほとんどが長屋、今でいう貸家住まいだったのです。やはり、土地を所有しているという意識はなく、財産価値は建物にありました。裕福な町人が長屋を建てたのです。落語の世界に出てくる大家さんは、長屋のいわば管理人です。

土地の利用に対して封建的な時代は、明治になって一変します。いち早く市民社会になっていた西洋から民法が導入され、土地の絶対的な所有権がいわれ始めました。一方で、明治政府は財政の安定のため、税を金納させることとし、納税義務者を土地の所有者としました。このために発行された地券には、地名・地番・地種・地積・地価額・地租額とともに、所有者が明記されたのです。やがて地券は現在まで続く登記制度に引き継がれることになります。

こうして土地の所有は納税の義務を伴うことになります。しかも地価の3%という、高額であったため、庶民にはとても手が出せません。土地持ちの農家の人の中には自ら地域の有力者に所有権を譲り、小作となるものも出てきます。また、都会で家を持ちたいと思っても土地は買えず、借地に家を造ることになるわけです。こうして都会を中心に借地人が誕生します。

国家総動員法にのっとった借地法の改正

明治時代は日本が富国強兵をすすめ、資本主義国家に生まれ変わった時代です。産業が発達し、都会は便利になりましたが、土地の価格は上昇しました。地主はより有利な土地利用、地代の上昇を期待することになります。民法の原則は、「売買は賃貸借を破る」であり、土地の所有者が変われば、借地人は建物を取り壊し、土地を明け渡さなければならないのです。地主同士で形式的な売買契約を交わせば、借地人を追い出すことも可能だったのです。地震の時のように建物が取り壊されたため「地震売買」と呼ばれていました。これが社会問題となり、明治42年に「建物保護に関する法律」が制定され、借地人は建物を登記すれば、地主に対抗できるようになりました。

日本は日清、日露戦争を経て欧米諸国に肩を並べるまでになり、「大正デモクラシー」が謳われました。そうした時代の大正10年に、現行の借地借家法の前身である「借地法」「借家法」が成立しました。借地人の法的地位を安定させようという趣旨です。

借地権とは「建物の所有を目的とする地上権ないし賃借権をいう」という定義からはじまって、借地権の存続期間が建物の構造により20年以上、30年以上となること、契約の更新、建物の改築、再築にあたって地主の承諾を得ること、など現在にまで通じる考え方が定まりました。

さらに時が過ぎて、戦争に明け暮れる苦難の時代に大きな改正がなされました。昭和16年に「正当事由」制度が導入されたのです。世は太平洋戦争目前の、軍国主義の時代、賃借人が多いであろう出征兵士の銃後の暮らしを守るため、借地契約の更新を拒絶することをほとんど不可能とした改正でした。また「国家総動員法」によってあらゆるものを国が決めていたこともあり、賃料も公定価格でした。ある意味で地主にとっては受難の時代となったわけです。一度土地を貸してしまえば、他の用途に変更することもままならず、賃料を上げることもできなかったのです。

借地借家法、定期借地権制度の創設

戦争が終わった後、賃料こそ次第に統制から外れましたが、この正当事由制度は残され「土地は一度貸したら返ってこない」というのが通例となりました。戦後のどさくさで、家に困った人に善意で土地を使わせたところが、居座られてしまったとか、自分が使う時には返してもらうつもりで期間を限定して土地を使わせたつもりが、いつまでも明け渡してくれないなどという地主の嘆きが続いたのです。当然ながらこうなると地主はこれ以上土地を貸すことを渋り、土地の活用もままならないことになります。日本が復興し、高度成長を成し遂げていた時代も、借地制度については、ほとんど手付かずのままでした。

やがて地価が上がり続けるという「土地神話」の下で、過剰なお金の流れからバブルが膨らみ、突然、破裂することになり、日本経済は低迷の時期を迎えます。バブルの反省から、土地を保有するよりも利用することへ価値観を移したい、という「土地基本法」が平成元年に成立します。その流れの中で、土地の利用を阻害している借地制度が問題となったのです。そこで土地利用、すなわち新たな借地供給を進めるために、新たな借地、定期借地権が導入されることになりました。これまでの3つの法律(建物保護に関する法律、借地法、借家法)は、この機会に平成3年「借地借家法」に一本化されました。

ただし、これまで長い間続いてきた借地関係を一朝一夕に変更させることには無理があります。そこで新しい借地については新法でよいのですが、既存の借地については、旧法の規定の多くがそのまま適用されることになります。契約の更新にあたっても従前の契約内容が引き継がれるのです。実はこのことが多くのトラブルを招いているともいわれます。旧法の適用される借地は、昔ながらの土地を継いでいるため、地主も借地人も代替わりしている場合が多く、契約内容があいまいだったり、契約書そのものがなかったりするのです。また、途中で新法に切り替えることはできないため、地主、借地人の双方が旧法のことを踏まえた交渉をする必要があります。

このように軍国主義の時代に強化された旧法は、現状のまま住み続ける限り、借地人にとって有利であり、地主には不条理で不利な内容もあるでしょう。しかし、借地をいざ活用しようとすると、借地人にとって地主の承諾は相変わらず必要ですし、売却をするにしても地主の協力がないと有利な条件は望めません。新法によって、今後は借地も合理的な契約が増えてくるとは思いますが、まずはこのような借地誕生の背景を知り、十分な知識を持って、相手の立場にも理解を示しながら話し合っていくことが大切なのではないでしょうか。

株式会社 旭リサーチセンター 住宅・不動産企画室室長
川口 満(かわぐち みつる)
旭化成のシンクタンク「旭リサーチセンター」で住宅・不動産に関わる専門的なアドバイスを提供している。著書「サラリーマン地主のための戦略的相続対策」(明日香出版社)。ファイナンシャルプランナー。

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