バウハウスとパウル・クレーに学んだこと
1975年に桑沢デザイン研究所を卒業したイラストレーターの安齋肇さん。
桑沢デザイン研究所はバウハウスをモデルに設立した日本初のデザイン教育機関として知られる。
安齋肇さん(以下安齋):在学中にもちろんバウハウスの作品や写真など目にする機会がありましたが、当時はアバンギャルドでアングラチックな印象が強くて、あまりピンとこなかったんですよ。
ただ、バウハウスの教育方針が実践的ということもあってか、桑沢ではデザインは芸術ではなく実践的な表現手段なのだと教え込まれました。
その姿勢や考え方は今でも役立っています。
バウハウスデザインの独自性や個性をどう受けとめているのかをあらためて問うてみた。
安齋:バウハウスが生み出したものは、作品なのか広告物なのか線引きができない曖昧さがありますよね。
僕が活動している分野のグラフィックでいうと、絵画的な構成というより、シンボリックで目を惹くものが多い。
斬新で衝撃的、そして力強さがあります。
バウハウスはナチスの圧力によって閉校していますから、その時代からあふれ出る反骨精神だったり、迫りくる圧力に対する危機感の中で生み出された作品が持つ切実さだったり、そんなものを感じます。
今日バウハウスデザインを真似ただけのものとは熱量が圧倒的に違いますよね。
安齋さんが少なからず影響を受けた画家のひとりに、スイス人画家のパウル・クレーがいる。
バウハウスで教鞭をとった人物で、バウハウスデザインを体現する作品をいくつも残している。
上の写真は1924年にワイマール時代の校内のアトリエで撮影された貴重な一枚。
「自由絵画教室」を開きながら、絵画理論の研究にも取り組んだ。
1923年のバウハウス展のためにクレーが描いたポスター
安齋:彼の作品はとても建築的で、色彩構成というよりも建物のアウトラインをとって、そこに色を載せていく感じなんです。
単純な形のなかからすごく複雑な色彩を持ってきて、その中で誰もが見たことのない夢のような世界観を描き出していますね
クレーの絵にはプリミティヴィスムやシュルレアリスムの系統も含まれていると安齋さんは語る。
クレーの作品に感化された部分も大いにあるそうだ。
安齋:自分がイラストレーションを始める時に、最も心を動かされたのがクレーの作品群に見られる、言ってみれば子供のような絵なんです。
そして夢のような鮮烈な色。
バウハウスのクレー先生が教えたであろう構造、色彩、理論などが僕にはとても腑に落ちていて、つねに自分の中にクレーが存在する気分をどこかに宿しているんですよ。
晩年のクレーは、言語の最小要素であるアルファベットのカリグラフィーも描いた
"Italian City"(イタリアン・シティー/1928年)
自由かつ単純なのに隙がない。
安齋さんが少なからず影響を受けた意味がわかる
2016年に開催した個展「まる。」へ出展した作品で、鮮烈な色彩をもつキャラクターも、文字通り自由にひとり歩きしそうなレターも、少年心を忘れないクレーに共通するものがある
written by Masaki Takahashi, Hiro Naooka /
Tsutomu Suzuki (profile photo) /
photo © Getty Images /
©Hajime Anzai

イラストレーター、アートディレクター。
数多くの企業キャラクターやタイトル画のほか、広告やパッケージデザイン、ポスターなども手掛ける。
NHK人気アニメ『わしも-wasimo-』も彼の手によるキャラクター。
テレビ朝日系「タモリ倶楽部」空耳アワーのソラミミスト、俳優、ナレーターとしても活躍する


※WEB掲載用に一部加筆・修正しています。