最強の壁 ヘーベルを科学する

PART3 HISTORY of WALLS:ヘーベルがいかに文化を背負った壁か

HAUS

PART3 HISTORY of WALLS

一方、建材史の視点から紐解いていくとヘーベルがいかに文化を背負った壁かがわかる

① 石造りの家

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ヨーロッパにおける住宅の歴史は、戦争の歴史と深く関係している。戦争によって引き起こされる最大の被害は火災だ。とりわけ中世以降のヨーロッパでは戦火によって消滅した街は数知れず、必然的に木造建築が石造建築に変わっていった。その多くは、切り出した石を積み上げて外壁や内壁などの壁面を築く組積式の家だった。

英国には現在でも中世に建てられた美しい石造建築の家が残されている。その代表がイングランドのコッツウェルズにあるバイブリー村だ。

バイブリー・コートでも有名なこの村は、詩人ウィリアム・モリスが「イングランドで最も美しい村」と讃えたが、なかでもアーリントン・ロウという14世紀に建てられたコテージの家並み(上写真)は秀逸。

天然スレートの急傾斜の屋根、タテに長い窓、ラギッドな風合いの外壁、そして美しいプロポーションは、19世紀半ばに英国で沸き起こったアーツ&クラフツ運動(中世のクラフツマンシップを取り戻そうという運動。その中心的人物がモリスだった)に大きな影響を与えた。

ちなみに20世紀に入った日本でこのアーツ&クラフツ運動に賛同し、民芸運動を起こしたのが柳宗悦である。

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切り出したふぞろいの石たちを上手に積み上げて完成した外壁。
接着剤を使用しないこの積み方を英国では
ドライ・ストーン・ウォーリング(Dry Stone Walling)というそうだ。

② レンガ造りの家

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17世紀半ばに入ると、国自体のサイズが小さく石材の国内調達が十分ではなかった英国とオランダで、石造りの家に代り、石炭や泥炭を原料にレンガ造りの家が普及しはじめた。

レンガ自体の歴史は古代メソポタミア文明までさかのぼるが、その需要が一気に高まったのは、建材としてサイズの標準化がはかられ、家造りの精度と効率が著しく向上したためである。

17世紀半ば以降に建材として使用されたレンガは、焼き色をそのままに残す赤レンガが主流だった。明治以降の日本で建てられた洋風建築の多くは、この時代の、とくに中世からつづく伝統を重んじて素朴な(焼き色そのままの)外壁を好んだ英国の赤レンガ造りを参考にした。

いまでもヨーロッパ各地には当時の赤レンガを残した街並みが多く残るが、その根底には、百年いや二百年単位で本物の建材を選りすぐり、末永く家を守りつづけるのだ、という頑なな「住哲学」が横たわっているように感じる。

ただ、一方でレンガ造りの家には弱点もあった。当時のレンガは屋外にある窯で焼成しており、素材を高温で焼く際に出る煤や煙が都市の環境悪化を招く問題が生じた。これ以上大量にレンガを焼成することを控えなければならなくなったのである。

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ロンドンやアムステルダムだけでなく、ドイツの都市にも赤レンガ造りの建物は多く見られる。上の写真はポツダム市内の街で、下の写真はポツダム郊外の閑静な住宅地で撮影したもの。

レンガ造りの家が普及するきっかけは大火だった。

レンガ造りの家が普及したきっかけは、1666年に起きたロンドン大火(The Great Fire of London)だった。当時のロンドン市内の路地に並ぶ建物はほとんどが木造で、その火は4日間にわたって約1万3000戸の家屋とセント・ポール寺院を含む87カ所の教会を焼き、市内の85%を火の海にした。その結果、ロンドンでは木造建築が禁止され、代わりに耐火建材としてレンガを使用した建物が急速に普及していく。

焼け跡になった土地の測量を担当し、公平に土地を切り分け、レンガの家造りを指揮したのが自然科学の父であり「フックの法則」でも知られるロバート・フックだった。フックは、セント・ポール寺院を共同で再建したクリストファー・レンとともに復興の立役者となった。幹線道路を広くして街区を格子状に設計し直すなど、フックの劇的な都市復興計画を前に市民の絆は深まっていく。大火を機に「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」の精神が真に宿ったのである。

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ロンドン市内に立つ「ロンドン大火記念塔(Monument to the Great Fire of London)」。大火の翌年に、その教訓を後世に残す目的でロバート・フックの設計によって建てられた。

記念塔が立つ場所は最初に焼かれた教会の跡地で、61mという塔の高さは火元になったパン屋までの距離に等しいと言われている。袂の記念碑にはいまもなお誰となくロンドン市民が水を与えにやってくる。

③サンド・ライム・ブリックの登場

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1866年といえば、ロシアの雑誌「ロシア報知」でドストエフスキーが『罪と罰』の連載を開始した年である。

アメリカでは南北戦争が終わり、暗殺されたリンカーンの遺志を受け継いで公民権法が制定され、日本では薩長同盟が結ばれ倒幕と維新に拍車がかかった。産業革命以来飛躍的にマニュファクチュアリングが発展していた英国では、世紀の大惨事と謳われたロンドン大火からちょうど二百年が経っていた。

そして奇しくもこの年、ケイ砂と石灰石を混ぜてオートクレーブ養生した「サンド・ライム・ブリック」という新しいレンガが同国で発明された。この、美しい白色を放つレンガの登場によって住宅建材は新しい時代を迎えることになる。

オートクレーブ(高温高圧蒸気窯)のなかで化学合成されたサンド・ライム・ブリックは、それまでの焼成レンガ材以上に強度が高く、優れた耐火性や防音性、さらには大量生産やスピード出荷が可能になったことで経済性も備えた建材として重宝された。当時、英国に追い付け追い越せで産業発展をはかっていたオランダやドイツ、さらに19世紀に入ると新大陸のアメリカやカナダでも製造されるようになった。

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オランダのアムステルダム市内には、
今でもサンド・ライム・ブリック造りの旧い建物が数多く残っている。
20世紀に入ってサンド・ライム・ブリックの品質はさらに高まり、
現在でもヨーロッパでは耐久性に優れた建材として利用されている

④軽量気泡コンクリートの発明

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オートクレーブ養生によって生成された軽量気泡コンクリート。ドイツにある世界最大のALCメーカー、エクセラ社で撮影。

1923年、スウェーデン王立工科大学のヨハン・エリクソン博士は、サンド・ライム・ブリックをベースに、オートクレーブ養生された軽量気泡コンクリート(Autoclaved Lightweight aerated Concrete:「ALC」または「AAC」と呼ばれる)を発明した。

厳冬の北欧で凍害や冷害を防ぐため少しでも断熱性と耐久性にすぐれた建材を作ろうとした結果の産物だった。このコンクリートは軽量ゆえにブロックの大型化が可能になり、「レンガ12個分の作業が1作業で終える」ほど作業効率の高い建材でもあった。

その特性に着目したのが、バウハウスの創始者ヴァルター・グロピウスである。グロピウスはこれをテルテン村で進めていた実験住宅用の建材のひとつに採用し、「賢者の石」としてその機能を認めていた。

ただ、当時はまだ十分に大量生産を可能にする体制が整っておらず、彼らが目指すプレファブ住宅の劇的な普及にはしばらくの年月が必要だった。

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スウェーデンのエレブレー郊外でいまなお現役の築80年以上のALC住宅。

⑤ 軽量気泡コンクリートのパネル化

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軽量気泡コンクリートをパネル化した建材「へーベル」の登場によって、第二次世界大戦後に工業化住宅は世界中に広まった。
オレンジ色のパッケージとともにそのブランド力は不動だ。

 

1943年当時のドイツ国内には、すでにヴァルター・グロピウスもミース・ファン・デル・ローエもいなかった。しかし、「賢者の石」の可能性に賭け、戦争によって消失寸前の街並みと人々の幸せを取り戻したいと願う技術者がいた。

ヨゼフ・へーベル。失敗と失望に決して屈しないこの男は、この年ついに軽量気泡コンクリート(以下ALC)に鉄筋を組み込んで板状に成型したパネル型建材を完成させる。それがここで言う「ヘーベル」である。

賢明だったのはそれだけではない。彼は短い工期で住宅を建築できるよう「ヘーベル」を規格化し、安定供給できるよう生産体制も整えた。

その結果「ヘーベル」は建材不足を助けただけでなく、大型建築の外壁材としても進化し、ドイツ国内、いやヨーロッパ各国の復興に大きく貢献した。戦争に耐えながら頑強な家造りの歴史を歩んできた土地で認められたALCはその後も進化をつづけ、いまでは世界90カ国に普及している。

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09_wall03_person01.jpgPROFILEヨハン・エリクソン(1888-1961)
スウェーデン王立工科大学で断熱性と多孔性の関係性を研究し、軽量気泡コンクリートを発明した。

09_wall03_person02.jpgPROFILEヨゼフ・へーベル(1894-1972)
最強の壁「ヘーベル」の生みの親。1943年に最初の製造工場を開設し、第二次世界大戦後に瓦礫と化したドイツをはじめ、ヨーロッパ各地の急速な復興に貢献した。

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HailMaryこちらのコラムはHailMary1月号に掲載されています。

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