くらしノベーションフォーラム レポート

第7回 くらしノベーションフォーラム  2012.3.5開催

テーマ:江戸時代の環境型社会に学ぶ ~設備に頼らない省エネの暮らし~

講 師:石川 英輔氏
江戸時代の文化について研究する作家。科学技術的な立場から江戸時代の日本のエネルギー、資源のリサイクル状況について、詳しい解説書も執筆している。また、時代劇バラエティ「コメディー道中でござる」(NHK総合テレビ)に出演し、解説を務めた。
1933年 京都生まれ。東京都立石神井高校卒業。国際基督教大学と東京都立大学理学部中退。その後、武蔵野美術大学・視覚伝達デザイン学科講師(印刷学)、ミカ製版(株)取締役を務める。1976年 カラー製版技術の研究により、日本印刷学会第一回技術賞を受賞。1985年より、執筆活動に専念。最近は、科学技術的な立場から江戸時代の日本のエネルギー、資源のリサイクル状況についての著作が多い。

ここでひとつお話しておきたいのは、今の私たちが使っている膨大なエネルギーと比べると、江戸時代のエネルギー消費は極めて少ないということです。具体的に言いますと、今、日本人はカロリーで言いますと、ひとり一日あたり12万キロカロリーぐらい使っています。そのうちの10万キロカロリーが石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料です。大体これは石油に換算すると10リットルくらいですね。あとの2万キロカロリーは水力だとか原子力とかです。今、私たちは1日に石油換算で10リットルくらい燃やさないと生活が成り立たない。要するに使い過ぎなんです。昨年の東日本大震災のあと、近所のスーパーなどで明るさが3分の1くらいになったが、気になったのは始めの2日くらいで、1週間もすればそれに慣れてしまいました。要するに過剰に使っているわけです。とにかくもの凄い量を使っている。では、江戸時代はどうかというと、今と同じ基準で計算すると「0」なんです。動力の大部分、95%以上は人間の力なんです。その人間、何で動いているかというと、大体前年にできた食べ物で動いているわけです。前年の食べ物は前年の太陽エネルギーでできている。昔の人は太陽エネルギーだけでできているんですね。牛肉が大好きな人は毎日でも牛肉を食べる。その牛肉はアメリカなどから輸入されている。その輸入する燃料はもの凄くかかっている。私などは庭で野菜つくっていて、玄米しか食べない。味噌汁にいわしやししゃもの焼いたもの。そんなものばかり食べていても、多分少なくとも体の半分は石油製だと思うんです。もう石油なしには生きていけないんですね。
とにかく昔の人は「0」で動いていたということを覚えておいてください。それで生活が成り立っていたんですね。そこの成り立ちを考えると、江戸時代の生活、なるほど、そうすれば私たちはエネルギー消費量0で暮らせるなということが分かります。ところが、今の私たちは、今日いただいた御題がとても面白いのですが、「設備に頼らない省エネの暮らし」、これは裏返して言うと、私たちは設備に頼るようになってしまったのです。


私は73年前から中野区沼袋に住んでいます。私は今78歳ですから、7歳の時から住んでいることになります。昭和20年の米軍の空襲で全部焼けてしまいま した。何もなくなってしまった。2年ぐらい前に、果たしてあの家にモーターがあっただろうかと考えたが、どう考えてみても、モーターは一個もなかったんで すね。翻って、今、私のうちに何個モーターがあるか、これはまったく分からない。パソコン、冷蔵庫、車……なんでもかんでもモーターですね。モーターで動 いている。それで何でこんなにモーターが多いんだろうと思いまして、この間、『日経サイエンス』の4月号を見ていたら、モーターの消費電力は日本の国内の 電力需要の57%だと書いてありました。国内の運搬エネルギー使用量で一番多いのは自家用乗用車で55%。鉄道はわずか2%、航空が4%。何でこんなこと になってしまったのか。
私が大学を出て社会人になったのは、高度経済成長の始まる前の年でした。もうあのころから「エネルギーを使わないのは悪」みたいになっていました。とにか く石油の価格が安いんですよね。使っても使ってもタダみたいなもの。それもオイルショックでみんなダメになってしまいましたが……。だから、石油消費を増 やすのが正しいこととして増やしに増やしてきました。「設備に頼らない省エネの暮らし」というのは、設備に頼っている限り省エネなどできないということだ ということが分かりますね。

江戸時代は循環型社会だと、よく言われます。江戸時代の循環型社会というのは本当に上手くできているとも言われます。でも、その中で暮らしていても、何が 循環だか分かりませんし、そもそも江戸時代の人は自分たちが循環型社会に暮らしているなんて思ってもいなかったはずです。たとえば、部屋の中で行灯をつけ る。もの凄く暗い。障子紙を通しますと、60ワットの電球の50分の1から100分の1の明るさしかありません。実際、行灯をつくってみると、よくこんな 明るさで生活が出来たものだと最初は思います。ところが、行灯だけにして5分経ち10分経つと目が慣れてくるから、暗くて不便ということを別にして考える と、そんなに悪いものではありません。私たちが電灯をつけるようになってまだ100年くらいのもの。その前の時代の人達は、行灯というのは不便なもので、 早く電灯が発明されて明るくなるようにならないかなど、誰ひとり、そんなことは期待しない。夜は、暗くなれば寝るものだと思っている。ところが、今は電灯 があるから、「私は夜型だ」という人がいる。遺伝学の先生に言わせると、ムササビやモモンガじゃあるまいし、50年や100年のうちに、昼型の動物が夜型 になるなんて、あるわけがないと言います。ただ生活時間が夜にずれ込んでいるだけです。夜になって暗ければ寝ますから。夜更かしはしない。自然、早起きを する。国を挙げて早起きの国だから、朝型の産業が栄える。朝顔売りなどが商売になるし、大名が将軍に拝謁するために登城するのも明け六つと決まっていまし た。明け六つというのは日の出の30分前なんです。

もうひとつは環境汚染の問題。行灯の油としてどういうものを使っていたか。地元で手に入るものは何でも使いました。クジラが安ければクジラの油(鯨油)を使いますし、いわしの油も。貧乏な人は安いから使う。普通の人たちは菜種油や綿の実の油(綿実油)を使います。
菜種を播いて花が咲き実がなる。油の原料は炭素。その炭素は全部、空気中のCO2から取るから、油を燃やしてできるCO2は吸収されて油になる。その油を燃やしているから、ただ循環しているだけで、環境に対する影響はゼロです。環境に影響はまったくない。いいことだらけ。
ところが今の私たちは、それでは我慢できない。私たちはもうムダに電気を使うのが当たり前になっています。さきほどお話したように、家の中のどこにあるのか分からないくらいモーターがあちこちにある。いや、「無理矢理使わされている」と言ったほうがいいのではないか。ですから、これを削減していくことはそんなに難しいことではない。私は口癖のように言うのですが、「できるうちはやってしまう」ということ。いくらお説教しても、電気料金が今くらいであれば、これを半分に減らせと言っても、とてもできませんよ、そんなこと。装置をつくる装置産業も、本気で省エネしようなんて考えていません。大型の液晶パネルテレビを見てしまえばもう元に戻れない。そうやって、ドンドンドンドン消費量を増やしてきているんですから。ですから、「できるうちはやってしまう」。無理に省エネをしなくても、やりたいようにやっていて大丈夫。私はその点、楽観的なんです。なぜかと言いますと、「できなければやらない」からです。「停電するぞ」と言われると、とたんにスーパーマーケットが薄暗くなる。でも、別段困りません。手でやればすむことをモーターを使ってやっているんです。何でトイレに入ると便器の蓋が自動的に開かなければならないのか。そこまでやる必要があるのか。しかし、本当に困ってくれば、必ずブレークスルーするんです。

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