メディア向けフォーラムレポート

第13回 くらしノベーションフォーラム

エネルギー自律生活のすすめ


講演

自律生活のすすめ
~エネルギーシステム学から家庭のエネルギー利用を考える~

講演:手塚氏 報告:下川 PDF(2.54MB)

 自律的生活とは何でしょうか、ここでは「日頃から生活の内容について自分で考えて生活すること」と考えお話をすることにします。つまり、自律的生活では、日頃から十分に考えて行動しているかどうかが重要なポイントとなります。


 「今の生活様式は、あなたが自分で十分に考えて決めたものですか?」という問いかけに対して答えることは難しく、日常生活で直面するいろいろな「しがらみ(制約)」が頭に浮かんでくることでしょう。しかし、最低限必要と考えられる衣食住の条件が満たされているのであれば、ものの見方や考え方を少し変えるだけでも生活は大きく変わる可能性があります。だまし絵でも経験できることですが、今ある姿にしか見えていないものが、少し見方を変える(視点を変える)だけで全く別のものに見えるということがあります。そして、視点を変えることによって全く別のものを見てしまった後では、視点を変える前の状況の自分を想像することすら難しくなることもあります。今見えているもの、感じているものが、将来も同じように見えたり感じたりできないかもしれないのです。


 これ以降は「エネルギーシステム学」の考え方に基づいてエネルギー需給を眺めることにします。

 ミクロ経済学には、ある財の供給量や消費量は、その取引価格の影響を受けると考えます。また、需要量と供給量がバランスするため、特に政府が手出しをしなくても需給調整を市場に任せておけばよいとする考え方もあります。


 しかし、地球温暖化、エネルギー資源保全、将来世代のことを考慮した持続可能性などの諸問題を考えると、化石エネルギー資源の消費量は、現行の市場、つまり需要量と供給量のバランスにより決まる需要量よりもさらに減らした方がよさそうです。

 その対策として、下記のようなものが挙げられます。


1. エネルギーの価格を上げる。
2. 二酸化炭素排出の総量を規制する。
3. 再生可能エネルギーや高効率エネルギー利用技術を導入する。

ところで、これらの対策に共通していることは、需要家を機械のように眺めていて、人間の持つ多様な価値観が考慮されていない点です。
エネルギーシステム学では、エネルギー需給を考える際に次の4つの事柄を重視します。

1. 様々なことを考えて行動を決定する人間や組織(意思決定者)に着目する。
2. 多様な価値観、考え方を持った人がいることを受け入れる。
3. 需給を評価する際には、多様な視点から対象を眺める。
4. 部分(ミクロ)と全体(マクロ)を同時に考える。

 図1はエネルギー需給と既存の3つの学問分野との関係を示したものです。エネルギー需給に自然科学がかかわることは当然のことで、価格と需要の関係を考えれば経済学などの社会科学も重要です。そして、もう一つ忘れてならないのが、エネルギーシステム学で大切にしている、エネルギー需要を定める『心の世界』、すなわち人文学の世界です。この3つの世界が密接に関係していることがエネルギー問題の大きな特徴でもあります。


 さて、エネルギーを消費することによって人間社会が獲得するものを満足度であると捉えると、図2に示すように、心を介さずに主として五感を介して認識できるもの(形而下的感覚)と、心を介さなければ認識できないもの(形而上的感覚)とに分けることができます。

 この図2を見ると、いわゆる人間らしい対応とは、図の右側の「形而上的感覚」に基づく人文学に関わる世界であることが理解できます。ではなぜ、エネルギー政策を考えるときに、この人間らしい部分である形而上的感覚に注目しないのでしょうか。定量的な評価が難しいから、というのは学術的に見ても本末転倒と言わざるを得ません。例えて言うならば、夜に落し物をしたからと、そこにはないとわかっていて、探しやすい街灯の下ばかりを探しているようなものです。

 そこで以下では、エネルギー需要の削減の議論の中で今まで定量的推定が困難であるなど色々な理由で顧みられることの少なかった側面について考えてみましょう。

  • 拡大

  • 拡大

  • 生活者のエネルギー利用形態の選択の自由度を増やす。
    今の生活者にとって、生活の選択の自由度はどの程度あるのでしょうか。 一般の一戸建てや集合住宅に住む場合、特に強く要求しない限り、通常想定されるエネルギーの使い方が提供されます。どの家にも同じような機器が設置され、同じような様式の生活が始まります。それを生活者が望んでいるか否かは聞かれもしません。どのような生活の可能性があるのか、今から探ってみるのも面白いのではないでしょうか。もちろん、家や地域インフラなどのハードウェアの側には、そのような多様な要望にこたえられる柔軟な能力が求められます。
  • 生活行動を生活者の多様な価値観を反映したものに変える。
    今、我々が使っているエネルギーのほとんどは有限な資源に依存しています。それらの資源は、将来世代の人とも公平に分かち合わなければならないにもかかわらず、通常は、そのようなことは考えもしません。問われれば子孫が大切と答えるにもかかわらず、現実には、目先の便益を重視する行動がとられがちです。これは、不合理な選択肢が、価値観とは関係なく安易に選ばれている状況と考えることもできます。長期的に見て持続可能性を志向した多様な価値観の下で社会が動き始めれば、いろいろなアイデアも出てきます。むしろそのような自律的な変化に基づくイノベーションが現れない限り日本の将来は暗いものとなるのではないでしょうか。
  • 価値観の多様性を尊重する社会を築く。
    日本では都市への人口集中と地方の過疎化が進行中ですが、皆がそのような一極集中を望んでいるわけではありません。ただ、各個人のミクロ的な判断が周囲の社会の状況などのマクロ的な制約のために自由に機能していないのです。地方には仕事がない、というのはその理由の好個の例です。もし、各個人の多様な価値観を社会に反映させたいのであれば、マクロ側からそれを尊重し各個人が制約を受けることなく行動に移せるように支援すべきです。例えば、各生活者の住みたい場所、家、やりたい仕事、などを自由度に選択できるように支援する柔軟な社会の仕組みを作ることも有効でしょう。

 上記の項目は、生活者がより「自律的に」エネルギーを利用した結果起こり得る事柄を述べたものです。このように、多様な価値観が混在する社会では、社会・生活環境が整えば「金太郎飴」のような画一的な状況ではない、変化にとんだエネルギーの利用方法が出現するでしょうし、一極集中などという極端な状態ではない「中庸」の状態に向かう原動力が生まれることでしょう。そして、そのような社会は、レジリエントで(強い復元力を持った)ロバストな(予期しなかった状況にも工夫して対応できる)社会となる可能性を秘めていることが、コンピュータシミュレーションによっても容易に示せます。

 ここで、そのような内容を主題とした童話「フレデリック(ちょっと変わったネズミの話)」(レオ・レオニ作)を紹介しましょう。

 主人公フレデリックは他のネズミが冬に備えてせっせと食料を集めているときに、一人だけ「光」や「色」や「言葉」を集めていました。彼には、それが冬になると必要になると分かっていました。また、他のネズミも不可思議に思いつつもそのような彼をさぼっているといって非難することはありませんでした。やがて冬が来ます。食料のある間は楽しい日々が続きましたが、食料がなくなり始めると、寒くつらい日々が始まります。そのとき、フレデリックの集めた光や色や言葉は他のネズミたちの心に温かさや楽しさを与えてくれたのです。

 これだけの話ですが、子供達に大切なことを教えてくれます。お腹を満たすことが生きる目的であれば食料の減少は不幸以外の何物でもありません。しかし、考え方ひとつで少しの食料でも楽しく生きる道を選択できることを示唆しています。 多様な価値観に支えられた自律的行動、すなわち食料を確保する行動の中でのフレデリックの行動が、このネズミ社会を冬の食糧不足に対して頑健なものにしたのです。多様な価値観を受け入れることは実は容易なことではありません。中には本当にサボっているだけの人もいるかもしれないからです。そこで必要なことは日常の中で築かれた相互の信頼関係でしょうか。

 さて、この童話の中の食料をエネルギー資源に置き換えると次のように解釈できます。エネルギーの多消費が社会の幸せにつながると考えると、エネルギー資源に限りがあると不幸な将来しか見えません。その先には戦争の影がちらつきます。その状況を回避するためにも、様々な生活様式に対する経験と価値観を育んでおくことが必要です。各個人が多様な価値観に基づいて「自律的に」行動できる社会が、エネルギー多消費一辺倒の社会よりもレジリエントでロバストとなるだけではなく、筆者らの研究によると、心地よいものとなる可能性さえも秘めています。


 旭化成ホームズで実施している「EcoゾウさんClub」では、家族一緒にエネルギーの使い方を考えることにより、家庭内の楽しい会話を増やし省エネルギー行動を促進することを主な狙いとしています。さらに期待される効果として、ランキング(他の家庭との比較)やEcoゾウさん通信を介して、他の家庭や地域社会、さらには地球環境問題にも思いを馳せることもできます。

 幼い折からエネルギー資源や環境の問題について日常生活の中の体験を通して考えることにより、限りある資源を現世代や将来世代の人々と分かち合わなければならないことや、エネルギー多消費は幸せな人生の必要条件ではないことも、知識としてではなく価値観として身につくでしょう。それは、子供達が成長し社会の意思決定をする立場に立った時に、理屈ではない大きな力となって現れることが期待されます。

 そのような価値観の多様性と自律性を持った家庭、組織、社会を、ミクロからマクロに至るいろいろな場で無理なく育てていくことが望まれます。「徐々にではあるがその準備は整いつつある」と早く言えるようになればよいと思います。「家族みんなで楽しみながら」を基調とするEcoゾウさんClubにはその一翼を担ってもらいたいと思っています。

ページのトップへ戻る