くらしノベーションフォーラム レポート

第9回 くらしノベーションフォーラム  2012.9.27開催

テーマ:住まいの内外に持ち込まれる花と緑 -暮らしの中に、その意義と役割、そして、あり方を探る-

講 師:下村 孝氏
京都府立大学名誉教授、共同研究員・非常勤講師。NHK文化センター京都教室講師。
1947年、大阪生まれ。大阪府立大学農学部、同大学院を経て農学博士。大阪芸術大学助教授、京都府立大学人間環境学部教授。2004年9月から2008年3月まで人間環境学部学部長。2008年4月、京都府立大学大学院生命環境科学研究科教授。2011年3月、定年退職後、4月から同大学院特任教授。2012年3月、同退職。
専門はランドスケープ学。京都の町家や庭園、都大路の街路樹や小路のガーデニングなどを題材として、人々の生活の中から、住まいの内外における花と緑の役割を探って来た。人の生活空間に緑を持ち込む手法として、屋上緑化や壁面緑化などの都市緑化技術を研究し、その望ましいあり方を提案している。人の身近にある緑の空間は、安らぐ心地よい空間となるべき、が信条。
主な著書は『立体緑化による環境共生-その方法・技術から実践事例まで』(共編著、ソフトサイエンス社)、『最先端の緑化技術』(共著、ソフトサイエンス社)、『花グラウンドカバー』(共著、ソフトサイエンス社)、『ランドスケーププランツ-景観設計植物-』(共著、ワールドグリーン出版)、『環境緑化の事典』(共著、朝倉書店)、『最新環境緑化工学』(共著、朝倉書店)他。

はじめに

暮らしの中にある緑、その役割を考え、今後どうあるべきかを一緒に議論していきたいと思います。人類は、文明を発展させ、その結果自然から乖離した生活環境を作りだしました。その反省の中で、緑の持ち込みを試みてきています。人にはなぜ緑が必要なのでしょうか。必要であれば、それはなぜなのかということは、大きな疑問です。今日はその辺りを探ってみたいと思います。

ヒトの誕生とその環境

2年前の朝日新聞の記事ですが、「最古の人類、解釈煮詰め15年」という記事が掲載されました。ラミダス猿人と呼ばれる人体の骨格化石が440万年前のものであるとされ、「Science」誌2009年10月2日号に、11本の論文による特集が掲載されました。その中では樹上性を残す不完全な直立二足歩行者であり、生息地は開けた森林から疎林と想定されていました。
また、米国科学アカデミー紀要(PNAS)8月13日号に、人と野生チンパンジーとの世代交代年数とDNA異変の起こる確率から、700万年から800万年の間の部分で人間とチンパンジーが分かれたとことを科学的に証明したとの報告が出されました。この時に人間にとって緑が安らぎの空間にあたるということがDNAに刷り込まれたのではないかと考える人が多くいます。では、樹上生活から降りた人類の環境はどうだったのでしょうか。
昨年の8月に「Nature」誌に「過去600万年の木本被覆率と人類の居住環境」という論文が掲出されました。化石土壌に放射性炭素年代測定法を用いて測定を行った結果、大半の遺跡の木本被覆率が概ね40%未満であったことが分かりました。すなわち、かなり開けた環境であったということが明らかになりました。見晴らしの良い開けた緑の空間、裏には逃げ込める樹林があるというのが、原始人類の誕生期も後代のわが国縄文時代の日本人にとっても同じような安らぎの空間であったのではないでしょうか。

人の生活にとっての緑の効用

人が植物から受ける影響、恩恵に関する研究は、1970年代以降、アメリカを中心に世界的に多くの成果を生んできています。その結果、人にとっての緑の役割を次のように整理することができます。
一つは、物理的な効用。続いて、化学的な効用。それから美しく見せるという修景効果。そして、痛みを和らげたりすることもあり得る心身への効用。これらを詳しく見ていきたいと思います。
まず物理的効用です。微気象の調節、輻射熱を遮断したり、植物の蒸散による潜熱消費で温度を下げたりする緑陰が一つです。それから壁面緑化、さらには屋上緑化。これらは、最近非常に大きく注目をされている緑化技術です。ヒートアイランド現象は全表面からの顕熱の放出と熱源からの熱の放出によって起きるとされていますが、これを抑えるために屋上緑化による断熱効果が有効であり室内の空調エネルギー消費量が削減され快適性がもたらされます。これについては、実証的データも出ており物理的効果が証明されています。
次に化学的効用ですが、大気の浄化については昔から言われています。10年ほど前から室内に浮遊する物質、VOCの除去に効用を持つのではないかと言われています。オーストラリアのシドニー工科大のマーガレット・バーチェットさんは、チャンバーの中に鉢植えのケンチャヤシを入れ、100ppmの濃度のヘキサンを注入して濃度の変化を調べました。その結果、光のあるなしに係わらず何度計測してもしばらくすればヘキサンの量はほぼ 無くなり、濃度を150ppmに上げても同様でした。また、本当に植物がヘキサンを吸収しているのか確かめるために植物を抜いて同様の実験をしたところ、やはり同様の結果が得られたことから、植物本体ではなく植物の根に共生する複数の菌によるものということを明らかにしました。これらの研究成果は、人の居住環境の調整の為にも有益な知見を提供していると言えるでしょう。修景効果については、今お見せしている京都の木屋町やパリのシャンゼリゼの写真でも明らかなように、住まいのまわりに緑を持ち込むことで街並みも美しくなりイメージアップが実現します。

さて、最後の4番目の人間の心身に対する効用ですが、癒し・安らぎと言われることについてです。
緑があると安らぐとか、緑によって癒やされるというのは多くの人が口にすることです。古代ギリシアの時代、ルネッサンス期、そして17世紀のイギリス風形式庭園と、人々はいろいろな形で身の周りに庭園を造ってきました。住まいの周りにある庭としてはネブカドネザル2世が造った空中庭園は有名です。異論を挟む人は、まずいないと思います。 緑による心身の癒しを考えるにあたり、広く知られており大きな影響を与えた研究があります。ロジャー・アルリッチというテキサスA&M大学の教授をしていた人の研究で、「Science」誌にも掲載されました。アメリカのペンシルバニア州にある病院で、胆のうの摘出手術をした患者のカルテをもとに調査を行っています。手術後の病室のベッドで、寝たまま窓の外の景色が見える患者たちのデータを集めました。ただし、見える景色が樹木の緑の場合と、れんが塀しか見えない場合とに分かれます。他のいろいろな条件がほぼ一緒でありながら、窓の外に見える景色だけが違う患者のカルテを集めたところ、23対、46名を抽出することができ、この23対のデータを比較しています。【右スライド参照】
まず、手術後1日目、5日目まで、7日目までで患者が要求した鎮痛剤の回数を強さによって分けています。1日目ではあまり差がありませんが、2日目以降、意識が戻ってきた段階で、れんが塀しか見えない患者のほうが、緑が見える患者よりも強い鎮痛剤を多く要求するということが分かりました。この間には、統計的に優位な差があるということです。
それからもう一つ、大きな差が出るのは退院までの日数です。緑が見えた患者のほうが、れんが塀しか見えなかった患者より1日早く退院しました。更に看護師が日誌で付けた患者についてのマイナス点も、緑が見えた患者のほうが有意に少なかったということです。
この結果を、アルリッチさんは州政府や国にも訴えて、病院建設に心掛けるように促しました。最近では日本でも窓からの景観に配慮した病院の設計が行われるようになってきています。皆さんよくご存じだと思います。

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