科学的根拠=Evidence(エビデンス)とは、経験ではなくデータに基づき効果を定量的に検証して、安全で効果的な手法を選択するための確率的な情報です。例えばアメリカやイギリスでの防犯カメラの犯罪防止効果に関する検証では街頭に設置された防犯カメラは効果を証明できず、駐車場に設置した場合は効果ありとしたデータがあり、自動車盗や車上荒らしの防止効果が実証されています。また、防犯パトロールも侵入盗などの窃盗に減少効果がみられ、特に自主防犯活動をどの程度実施したかが重要なこともわかってきました。
犯罪対策は、犯罪者に焦点をあてた刑事司法制度の他に、事前予防のアプローチとして、失業対策や教育などで中長期的に犯罪を減らす「社会的犯罪予防」と、犯罪者に機会を与えないことを重視し短期的な効果を発揮する「状況的犯罪予防」の二つがあります。状況的犯罪予防(Situational Crime Prevention)を主張したクラーク(Ronald Clarke)は、犯罪者が最小のリスクで最大の報酬を得られるような状況を合理的に選択する、という「合理的選択理論」を提唱し、犯行の難易性を高め、発見されやすくし、獲得する報酬を少なくすることで犯罪が予防できるとしました。この考え方は、犯罪の機会を減らす環境を整備する防犯環境設計の基礎となっています。
日本での防犯環境設計の普及は1990年代から2000年代にかけて始まりました。この図はフェルソンの「日常活動理論」(Felson;Routine Activity Theory)をベースに私が整理したもので、犯罪企図者の「接近の制御」を行い、「領域性の強化」で犯罪企図者以外を明確化した上で、地域住民などによる「監視性の確保」を抑止力とする、という関係を表現しています。日本独自のものとして、欧米に比べ日本の文化の下では開口部の強度が低いため、「被害対象の強化・回避」を加えました。錠や防犯ガラス、格子による対策がこれに当ります。「対象物の強化・回避」「接近の制御」は犯罪企図者の行動に対して直接的、「自然監視性の確保」「領域性の強化」は間接的な手法といえます。犯罪企図者を減らすのは厳罰化や矯正教育などの「公助」、被害対象の強化・回避は居住者の「自助」、監視者(見守り者)の効果を高めるのは地域・事業者などの「共助」の役割という整理もできます。
防犯環境設計は欧米でのCPTED(Crime Prevention Though Environmental Design)の訳語です。欧米ではCPTEDは1970年代から90年代前半には、公営住宅などの貧困地域における犯罪問題の慢性化に伴い、コミュニティ防犯戦略として政治的に無色で即効性のあるものとして期待されるようになりました。アムステルダムの団地で展開された事例では、長い廊下を閉鎖してアクセスをコントロールするなどの直接的な手法だけでは犯罪はあまり減らず、公営住宅を建替え、街路照明などの工夫によって環境全体の質を向上させ、コミュニティの活性化などのインフォーマルな社会統制の改善と合わせて犯罪を減少させる効果が報告されています。それらのノウハウはオランダの警察認定制度に集約されています。
日本の住宅はしめ縄を張って内外を分けるような心理的境界を重視する文化で、柱と梁による開放的な家の構造で、引き戸、ふすまや障子を多用する暮らし方でした。それでも周囲からの「人の目」という自然監視性があり、地域の縄張り意識や帰属意識が脆弱な開口部を補完していました。こうした文化的な背景は欧米のCPTEDの考え方に近いと考えられます。
防犯環境設計は自助、共助を活用できる点で優れていますが、犯罪者を減らす、という公助の役割までカバーしてくれる訳ではありません。これを防犯環境設計の限界として認識しておく必要があります。
防犯環境設計(CPTED)の手法を巡っては様々な議論が行われています。対象物の強化には侵入者の技術が進化すれば効果が薄れるという指摘があり、住宅の侵入防止を目指した場合、街路の安全性が保障されない、住宅を要塞化する等の批判があります。また、領域性の効果を証明したデータがまだ得られていないこともあります。第二世代のCPTEDはこの欠点をカバーすべく、社会的連携や文化の尊重といったテーマを含むようになってきています。
反対意見の中には「犯罪の転移」、つまり犯罪者が狙いやすい対象に移動し、その場で起こる犯罪は防げても違う場所で起こるのではないかという批判です。しかし最近の研究では、犯罪の転移は考えられていたほど発生しておらず、これは動機をくじかれた潜在的犯行者の多くがあきらめるためだと考えられています。また、対策を講じた周辺地域の犯罪も減少するといった「利益の拡散」も見られます。防犯環境設計には限界があるとはいえ、引き続き自助・共助により犯罪を未然に防ぐ対策を考えていくことが重要だと思います。