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暮らしのコツ

眠りの本棚 第四話

Monkey Business

Monkey Business/柴田元幸

柴田元幸さんが責任編集を務め、2007年に創刊された文芸誌。その第2号は「眠り号」だった。「Monkey Business」は第15号の「最終号」で休刊。その号では柴田さんによる「トム・ソーヤー」全訳(!)を読むことができる。 バックナンバーはこちらから。 2011年にはA Public Space Literary Projects, Inc. より英語版第一号『Monkey Business International: New Voices from Japan』が刊行された。

「Monkey Business」vol.2「眠り号」
2008年 ヴィレッジブックス刊

責任編集:柴田元幸
定価 :1365円(税込)

目次

Conversation

喜多村紀×きたむらさとし×柴田元幸 眠っているのは誰(何)か

短歌

石川美南 眠い町

sleep & literature

小澤英実×大和田俊之×都甲幸治×柴田元幸 眠り文学50選
スチュアート・ダイベック 今日、今夜 訳:柴田元幸
小川未明 眠い街
スティーヴ・エリクソン ゼロヴィル 訳:柴田元幸

このあたりの人たち2

川上弘美 事務室

Monkey Contemporaries

スティーヴン・ミルハウザー レイン・コールマンの失踪
訳:柴田元幸

浦ばなし2

小野正嗣 キュウリとニガウリ

あかずの日記2

岸本佐知子 四月/五月 パーマ

Classics in Comics

西岡兄弟 田舎医者 フランツ・カフカ(訳:池内紀)原作

Gangster Fables2

バリー・ユアグロー 可愛い子/歌 訳:柴田元幸

Fiction

戌井昭人 どんぶり
古川日出男 果実
リン・ディン 『血液と石鹸』より 訳:柴田元幸

Monkey Classics: Overseas

ラルフ・エリスン 広場でのパーティ 訳:柴田元幸

Monkey Classics: Japan

中島敦 悟浄歎異――沙門悟浄の手記――
栗田有起 希望なき世で夢をみる

ハルムスの世界

ダニイル・ハルムス 朝
訳:増本浩子+ヴァレリー・グレチュコ

猿の仕事

柴田元幸
profile
柴田元幸

柴田元幸 しばた・もとゆき ● 1954年東京生まれ。アメリカ文学研究者、翻訳者、東京大学大学院人文社会系研究科教授。ポール・オースター、スティーヴン・ミルハウザー、スチュアート・ダイベック、レベッカ・ブラウンなど、現代アメリカ文学の翻訳で知られる。2005年『アメリカン・ナルシス』(東京大学出版会)でサントリー学芸賞、2010年、トマス・ピンチョン『メイスン&ディクスン』で日本翻訳文化賞を受賞。著書に『アメリカ文学のレッスン』(講談社現代新書)『翻訳教室』(新書館)『ケンブリッジ・サーカス』(スイッチ・コーポレーション)『柴田元幸と9人の作家たち ナイン・インタビューズ』(アルク)『つまみぐい文学食堂』(角川文庫)など。村上春樹氏との共著に『翻訳夜話』『翻訳夜話2 -サリンジャー戦記』 (ともに文春新書)。 文芸誌『Monkey Business』は15号まで刊行(2011年)。

鍛治恵

鍛治恵 かじ・めぐみ ● NPO睡眠文化研究会事務局長・睡眠文化研究家・睡眠改善インストラクター。寝具メーカー、ロフテーの「快眠スタジオ」での睡眠文化の調査研究業務を経て、睡眠文化研究所の設立にともない研究所に異動。睡眠文化調査研究や睡眠文化研究企画立案、調査研究やシンポジウムのコーディネーションを行なう。2009年ロフテーを退社しフリーに。2010年NPO睡眠文化研究会を立ち上げる。立教大学兼任講師。京都大学非常勤講師。立教大学ほかでNPOのメンバーとともに「睡眠文化」について講義を行う。 http://sleepculture.net/

──前回に引き続き柴田元幸さんにお話をうかがいます。前回は「Monkey Business」vol.2「眠り号」と、眠りと文学についてお話しいただきましたが、引き続き「眠り」について……。

鍛治恵さん(以下、鍛治さん) NHK BSの「COOL JAPAN 発掘!かっこいいニッポン」という番組で「睡眠」がテーマの時があって、そこで8カ国の人々の座談会が行われたのですが、最初から食い違っていると思ったのは、極論すると「何のために眠るのか」という点だったんですね。活動するために眠るのか、気持よく眠るために活動するのか、平行線でどこまで行っても話はかみ合わないだろうなと思いました。

柴田元幸さん(以下、柴田さん) 海外の人のほうが「気持よく眠るため」という意識が強いということですか?

鍛治さん ええ。それ以前に「どうして寝る時間を削ってまで働くのか」など、日本人の考え方には納得いかないみたいでした。

柴田さん ああ、それは確かにありますよね。日本にはクールダウンする時間が必要という意識がほとんどなくて、就寝の瞬間まで真っ白な光の下で仕事モードのまま過ごしているイメージはあります。海外では、夜の家はもっと暗いですよね。日本の都市や家はもう少し暗くてもいいのに、と思うことは多いですよ。この前の大震災の後、節電のために街が暗くなった時は、苦労した人もいたと思いますが、個人的には歓迎でした。

鍛治さん そう思った方は多いと思います。

柴田さん でもすぐに戻っちゃいましたけどね。

鍛治さん 睡眠の研究者も「明るすぎる夜」が日本人の睡眠に悪影響を与えているという方は多いです。夜を昼のように明るくするのではなく、昼は明るく夜は暗く、それなりのメリハリが必要だと提唱されても、実現は難しいのが実情でした。でも震災後は電力問題でそうせざるをえなかったわけですよね。それは、言ってみれば大規模な実験みたいなもので「あ、これくらいでも大丈夫だ」と、多くの方々が感じていたと思うんですよ。でもすぐに、明るくても消費電力が少なければいいじゃないかと、LED電球が一気に普及して、また明るくなってしまった。

柴田さん なるほどね。根本的な発想は変わらないのかな。  日本語と英語を比べると、英語は昼と夜がキッチリ分けられていて、昨日の夜に会った人と今日また会った時、日本語だと「昨日はどうもありがとう」ですが、英語だとyesterday(昨日)とは言いません。夜に会ったらlast night(昨夜)です。yesterdayのdayは夕方くらいには終わっていて、その後はnightなんですよね。日本では夜になってもyesterdayがずっと続いている感じがします。英語の発想だと、dayがあってnightがあり、その後にsleepがある。日本人の暮らしはnightが抜けて、dayの後にいきなりsleepがあるような感じなのかな。

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── 昔、ディスコの経営者に話を聞いた時、欧米にはday businessとnight businessがあって、後者も法人として社会的に認められているけれど、日本だとナイトビジネスはイコール水商売で、往々にしていかがわしい商売だと思われてしまう、と嘆いていました。

鍛治さん 時間に対する感覚が違うんでしょうね。

柴田さん 夜はくつろぎや文化の時間であるという発想は、今の日本には欠けているかもしれないですね。最近は打ち合わせなんかでも、午後5時、8時とはほとんど言わなくなっていて、17時、20時って言うでしょう。一日中働く時間っていう感じですよね。

鍛治さん 「時計」という時を計り、告る装置は近代になって普及しましたが、それ以前は教会やお寺の鐘が時を告げていました。でも、どの時を告げるか、日本と欧州では違いがある。日本は夜の時を告げるけれど、欧州は目覚める時を告げる。基本となる時間の軸が違うという話がありますね。

柴田さん ヨーロッパは朝、教会の鐘で目覚めるけど、日本はお寺の鐘がゴーンと鳴ると「今日も終わりか」とか「そろそろ寝るか」と。鐘が鳴らないと寝ない文化ということなんですかね。むしろ、眠りそのものよりも、眠りに至る段階の前にある「夜」に対する考え方に差があって、日本人は夜の意識が薄いということなのかな。

At Day's Close: Night in Times Past

「At Day's Close: Night in Times Past」ロジャー・イカーチ著。
残念ながら和訳本は出版されていません。

鍛治さん バージニア工科大学のロジャー・イカーチ教授*¹は、実は、夜にまとめて寝るというのはまだ新しい生活様式で、かつて夜には二つの眠りがあったと書いています。朝までグッスリ眠ることを求める人は、夜中に目が覚めると「ああ、こんな時間に目が覚めてしまった」とネガティブに捉えてしまうけれど、昔は夜にいったん目覚めて、「第1の眠り」と「第2の眠り」の間の時間に、ご近所さんを訪ねたり、お祈りや朝ごはんの準備をするなど、夜の睡眠の途中で起きて普通に活動することは当たり前のように行われていたようです。

柴田さん いつ頃の話なんでしょうか。

鍛治さん 産業革命以後ですね。分断睡眠の習慣は17世紀後半には薄れていき、1920年代には忘れ去られた生活様式になったそうです。

柴田さん それは意外ですね。昔は暗くなったらひたすら寝ているものだと思っていましたけど。

鍛治さん イカーチ教授は近代以前、昼間に抑圧されていた貧民や反体制派にとっては、日没が「夜明け」で、夜は羽を伸ばして仲間たちと交流できる時間だったと言ってます。そもそも夜はまとめて寝るというのも、中緯度の欧米の国々を中心とした習慣みたいですし。

柴田さん そうですよね。文化人類学ではもっと多様な眠りの形態が報告されていますからね。

── 眠りも、かつての文学のように「定形」に押し込まれてきたんですね。

鍛治さん 今や夢オチは漫画や文学では禁じ手の一つですよね。
柴田さん 文学は型通りに演じるのが良いと思われる時代と、外すほうが良いと思われる時代があるとすると、今はどう定形から外れるかを重視する時代ですよね。そうなると「胡蝶の夢」のような定形からどう外れるかが大事になっているので、確かに夢オチは禁じ手みたいになっているかもしれませんね。
(「眠りの本棚」第三話より)

柴田さん 少なくとも、僕たちが「心地良い」と信じている眠りが、本来の眠りだと思わないほうがいいみたいですね。この文化のこの文脈の中では、この眠り方が大多数の人にとって快適だというのはあるかもしれないけれど。

鍛治さん そうですね。

柴田さん でもね、夜中に目覚めずに朝までグッスリという睡眠には憧れるんですよね~。

*1 ロジャー・イカーチ A. Roger Ekirch

1950年生まれ。バージニア工科大学・歴史学部教授。西欧と米国の眠りの歴史を研究している。近代より前は西欧のほとんどの人々が「分割睡眠」をとっていたとする説を、2001年に学術誌「アメリカン・ヒストリカル・レビュー」に発表。著書に「At Day’s Close: Night in Times Past」。

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