
ヴィートルト・リプチンスキー※の事実上の処女出版。原題は「HOME: A Short History of an Idea」。Viking社から1986年に出版され、10カ国語以上に翻訳された。出版当時、アメリカの建築評論家ポール・ゴールドバーガーは「New York Times」で、「80年代の建築界のレガシーとして残るのは、同時代のどんなデザインよりもこの書籍かもしれない」と絶賛。快適な住まいというものが、時代によってどう変遷していったのか。オランダ、フランス、イギリス、アメリカの伝統的なインテリア・家具、ライフスタイルの歴史から探る。
「心地よいわが家を求めて―住まいの文化史」
1997年 TBSブリタニカ(現・阪急コミュニケーションズ)刊
ヴィートルト・リプチンスキー著 マリ・クリスティーヌ訳
定価:1800円+税
目次
第1章 ノスタルジア─ラルフ・ローレンの世界
第2章 中世の人々の生活
第3章 女性の自立と家庭愛にめざめて─オランダの家
第4章 心地よい家具を求めて─フランスの家
第5章 実用本意を心がけて─イギリスの家
第6章 快適空間をつくるために
第7章 能率という魅力に引かれて─アメリカの家
第8章 室内を飾るにふさわしい様式とは
第9章 装飾美から簡素な美へ
第10章 くつろぎこそ、最高の贅沢


かじ・めぐみ ● NPO睡眠文化研究会事務局長・睡眠文化研究家・睡眠改善インストラクター。寝具メーカー、ロフテーの「快眠スタジオ」での睡眠文化の調査研究業務を経て、睡眠文化研究所の設立にともない研究所に異動。睡眠文化調査研究や睡眠文化研究企画立案、調査研究やシンポジウムのコーディネーションを行なう。2009年ロフテーを退社しフリーに。2010年NPO睡眠文化研究会を立ち上げる。立教大学兼任講師。京都大学非常勤講師。立教大学ほかでNPOのメンバーとともに「睡眠文化」について講義を行う。
http://sleepculture.net/
── 今回は「心地よいわが家を求めて―住まいの文化史」です。それにしてもこの本はホントに面白かったですよ。今は絶版になっているので古書在庫を探すしかないのが残念です。文庫で再版してほしいです。
鍛治さん そうですね。翻訳も自然でとても読みやすいですよね。
── 訳者はマリ・クリスティーヌさん。昔はよくテレビ番組の司会なんかでお見かけした方でした。プロフィールには東京工業大学大学院の理工学研究科社会工学専攻修士課程修了とありました。現在も都市工学を学んでいるそうです。
鍛治さん マリ・クリスティーヌさんは国際派タレントの草分けみたいな存在でしたね。
── 一方、著者はスコットランド出身でカナダで学んだ建築家なんですね。こういう研究は楽しそう。
鍛治さん そうですねー。この本は前回と前々回に紹介した本とは少し違って、日本以外の寝室や居住空間を歴史の切り口で捉えている本です。中世から近代まで、オランダ、フランス、イギリスとアメリカが登場します。ヨーロッパの中世の人たちがどんなふうに寝ていたのか。心地よいという概念や言葉がどのように生まれたのか、いろいろと興味深い話が書かれていますね。
── 快適を意味する英語のcomfortableは、カタカナのコンフォタブルやカンファタブルとして、日本でも普通に使われていますが。
鍛治さん 語源を遡ると今日の意味とは違うんですよね。実は、このcomfortableから派生して掛け布団を指すcomforter(コンフォーター)という言葉も生まれるわけです。
時代がさらに降りると、この概念の意味はさらに拡大され、ついには、“comfortable”は身体的な満足感や喜びも指すようになった。(中略)“comfortable”に新たに付け加えられた意味は、ほぼ例外なく満足感を表したもので、とりわけそれは暖かさに対する満足感だった。たとえば、ビクトリア女王時代のイングランドでは、“comfortable”はもはや救い主のキリストを示さず、長いウール製のスカーフを表していた。この言葉は、今日ではキルティングが施されたベッド用掛け布団を表す。
(第2章「中世の人々の生活」p.41-42)
── こういう視点から「快適」とは何かを捉えるのは面白いです。確かに新しい感覚や概念を表すために言葉は必要ですから。言葉は手がかりになりますよね。
鍛治さん この本の原題でもあるhomeの言葉の成り立ちも面白いですよ。homeに相当する同義語が、ラテン語系の言語やスラブ語系ヨーロッパ諸言語にはなかったというのは驚きでした。今日的なhomeはオランダ発祥で、家庭生活やプライバシーといった概念も実は17世紀のオランダで生まれて、そこから北部ヨーロッパに広がっていったというのは、この本で初めて知りましたよ。確かにオランダは交易で裕福な国だったとは思いますが……。
── オランダでは召使いを雇うと税金が課されたとか、家事労働を家族以外には任せないという考えが、どこから生まれ、どう発展したのかも気になるところです。使用人がいないと当然、家のカタチは変わってきますよね。
子供は家庭の中心であり、家庭生活はそれを中心にして回っていた。他の国々よりも一〇〇年も前に、こうした状況が唯一オランダの家庭で生まれていたのである。
(第3章「女性の自立と家庭愛にめざめて」p.88-89)
“Home”は、家と世帯、住みかと避難所、所有と情愛という意味を併せ持っていた。“home”は家を意味したが、さらに家の中やその周辺にあるすべてのもの、家族はもちろん、以上によってもたらされる満足感も指していた。
(第3章「女性の自立と家庭愛にめざめて」p.91)
鍛治さん まさかオランダが「家庭生活」誕生のきっかけになった国だったとは。
── びっくりでした。コレ、オランダ人は知ってますかね?
鍛治さん いやホント、「そうだったのか~」って感じですよね。歴史の大きな流れの中の経済的な力関係もあったと思いますが、中世から近世にかけては知らないことが多いですからね。
── この本で初めて知ることが多かったです。
鍛治さん 私は「窓」の歴史にも、とても関心があって、寝室ももちろんですが、窓のあり方は空間計画と無関係ではないと思うんですよ。16世紀のオランダでは窓の数で税金が決まる法律があったんですよね。家の内側はプライベート空間なので、徴税当局が建物内に立ち入らなくても済む課税方式として合意されていたようです。イギリスやフランスでも同様の徴税があったはずですが、建築や技術の進歩だけではなく、こうした税制が室内環境や寝室に影響を与えてきた可能性もあるんですよね。
── 江戸時代の京都でも間口の広さに応じて課税する「間口税」が導入されましたよね。
鍛治さん あの税制が町家の独特のスタイルを生んだわけですからね。