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暮らしのコツ

ベルリンの「夜のあかり」

ついに深夜営業のスーパーも登場

 1日の始まりが早いことのメリットは、仕事の終わりも早いということです。朝の5~6時くらいから仕事が始まる職人さんたちは、午後3時頃が仕事上がりです。会社勤めの人たちも5時には家路につき、6時半には家族と夕食のテーブルを囲むというのがごく一般的な生活パターンです。ドイツ人の食生活では、温かい食事を摂るのは基本的に3食のうち1食だけ。お昼か夜のどちらかです。よくあるパターンが、朝はパンにチーズ、ハム、ジャムやハチミツ、これにゆで卵がつく場合もあります。あるいはミューズリー(シリアル)やフルーツ。目玉焼きやスクランブルエッグなどの油を使ったお料理は、朝には登場しません。そして昼は、会社や学校の食堂でパスタや肉料理を摂り、夜は再びパンとチーズ、ハムなど。これにより、電力も時間も節約できるわけです。
 さて、朝が早ければ夜も早寝になるのが通常ですが、ドイツ人の夜の生活もこの20年で大きく変化しました。かつてはテレビの夜の娯楽番組もなく、スーパーなどのお店は平日も午後6時半までの営業。カフェやクラブがかたまっている市街中心部のエリアを除けば、ベルリンの街の夜はひっそりとしたものでした。それが近年、都市部では店舗の営業時間が大きく拡張され、かつては考えられなかった朝7時~深夜0時まで営業のスーパーも登場しました。まさに、日本のコンビニの元祖が最初、朝7時~夜11時営業だったのと同じなのです。そして夜遅くも、客足が途絶えることはありません。店舗の長時間営業によって、以前ははっきりしていた昼と夜の境界線があいまいになってきている感は否めません。
 そしてテレビ番組の多様化とコンピュータ、インターネットの普及も、人々の暮らしをがらりと変えました。4人の子どもがいる友人の長女(21)は、「私が子どもの時は、テレビもコンピュータも1週間に2時間だけしか許されていなかった」といいます。ところが現在13歳の末っ子の弟は、自分のMacを部屋に持ち、友だちといっしょにプログラミングをするのに夢中なのだとか。しかし一方で、午前中は学校に行き、午後は地域のクラブに入ってスポーツや音楽などの稽古ごとをするという子どもの暮らしに大きな変化はないといいます。1日を無為に過ごすことがないように、子どもたちの暮らしには日々プログラムがあって、あまった時間でコンピュータをいじるという感じでしょうか。

暗い冬に美しい光を

暗い冬に美しい光を

 天気の悪い日が多く、日照時間も短い冬の間、ドイツ人は家の中を快適な空間にすることに情熱を傾けます。明るい色の花を飾ることを絶やさないようにしたり、壁の色を塗り替えてみたり、キャンドルの灯りですてきな雰囲気をかもし出したり…。冬の夜が暗いからといって、室内の照明をうんと明るくすることをドイツ人は好みません。むしろキャンドルの灯りや間接照明を好み、薄暗い中で夕食やその後の団らんを楽しむのです。
 翌日も学校がある平日、子どもたちは夜の8~9時頃には就寝します。寝室の窓は鎧戸をきっちりと下ろして、余計な光が入り込まないように配慮されています。また寝室には、睡眠の妨げになるテレビやコンピュータを持ち込まないという原則を守っている人も多いです。
 冬の日照時間が最も短い冬至(12月21日頃)からすぐ、ドイツで最も重要なイベントであるクリスマスがあるのも絶妙の組み合わせです。クリスマス前の4週間、各街の中心部にはクリスマスマーケットのお祭り屋台が立ち並びます。これも「暗くなってから行かないと気分が出ない」という人が多いのです。暗い冬空の下に輝くクリスマスのイルミネーション、寒い中で飲むあたたかいグリューワイン。闇が濃いほど光の輝きが特別な意味を持っている…ドイツ人の夜の過ごし方には、長く暗い冬の季節とつきあってきた民族ならではの独特の知恵が潜んでいるように思えるのです。

実は「眠らない街」ベルリン

電車や地下鉄、市電、バスと公共交通機関が縦横無尽に張り巡らされているため、ドイツの中でも住民の自家用車保有率が低い首都ベルリン。それを裏付ける、他の街にないベルリンの特色のひとつが、公共交通機関が実質24時間稼働している点です。電車や地下鉄の通常運行が終わった深夜1時過ぎも、深夜運行バスが区間によっては1時間に2~3本走っているのです。そして4時になると再び、他の交通機関も稼働し始めます。「税金の無駄遣い」と言われても仕方がないはずのこの公共交通機関の充実ぶり。しかしそれが、若い芸術家を引きつけるアートシーンとしても名高い街ベルリンを下支えしていると言えるのかもしれません。

ドイツ連邦共和国

人口

約8175万人(2010年1月)

面積

35.7万㎢(日本の約94%)

首都

ベルリン

宗教

キリスト教(カトリックと
プロテスタントは約半々)、ユダヤ教

時間帯〈ベルリン〉

UTC +1(夏時間は+2)

1990年の東西ドイツ統一を期に、首都に返り咲いたドイツ最大の都市。40年間の東西分断時代には、東ドイツエリアの中に西ベルリンが飛び地のように存在する形でベルリンの街も分断されていたという数奇な歴史を経験しています。地方分権が根強いドイツにあって、国政の中心地はベルリンですが、経済はフランクフルト、出版・メディア関係はハンブルク、ITはミュンヘンと分散しています。ベルリンには157のミュージアムと56の劇場があって文化事業が充実しており、世界各国からの若手アーティストを引きつける文化都市である一方、ドイツの中でも高失業率で、自治体としての債務総額が突出しているのもベルリンの特徴。そんなこの街を称してヴォーヴェライト・ベルリン市長が言った有名な言葉が「ベルリンは貧乏だがセクシーな街」。

プロフィール

みいち・とも●フリーライター。東京都出身。1990年に渡独。再統一直後の東ベルリンに住んだのをきっかけに、現在もドイツ在住。今はベルリンの西側に住んでいる。著書に『ベルリン 東ドイツをたどる旅』(産業編集センター)、『ドイツ クリスマスマーケットめぐり』(同)http://www.tram-magazin.de

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