column

暮らしのコツ

上海の「夜のひかり」

華やかなライトアップ

 上海は夜になると艶やかな色彩に彩られます。なかでも外灘(ワイタン)の夜景は格別です。租界時代に建てられた重厚な洋館がライトアップされ、黄浦江の対岸に並ぶ高層ビル群がネオンを輝かせます。ライトアップは通常11時までですが、上海のシンボルともいえる場所なので、旧正月のときなどは延長され、逆に電力不足のときは取り止めになることがあります。華やかに電飾された場所は市内に点在し、繁華街は毎晩賑やかです。デパートやスーパーはたいてい夜10時まで営業していますし、最近は24時間営業の店も急増しています。コンビニエンスストアにファストフード店、昨年は全日営業の書店もオープンしました。
 一方、住宅街は日が暮れると急に暗くなります。上海に住む一般市民のうち、中年以上の人の多くは規則正しい生活を心がけていて夕食の時間が早く、飲食店は夕方6時頃から混み始めます。会社勤めをしている人は夕食後、就寝まではテレビやパソコンを楽しむ過ごし方が一般的です。上海の男性は率先して家事を行うことで中国の中でも有名ですが、一人っ子世代は結婚後も両親と同居し、親が家事をするケースが増えているそうです。

1.黄浦江を派手な観光船が行き交う。浦東に建つ高層ビルのネオンとの共演。 2.歴史的西洋建築が建ち並ぶ外灘。現在はレストランやホテル、ブランドショップなどが入り、夜になると艶やかな様相に。 3.1933年開業のダンスホール「パラマウント・ホール」もライトアップ。今も現役だが、主にダンススクールやバーとして利用されている。

かわりゆく夜食文化

 上海には「夜宵」と呼ばれる夜食の文化があります。夜食をとる習慣は中国でも気候のいい南の地方に多く、数十年前までは、消化のいい小豆粥や高菜の麺、ワンタンなど、眠気を誘うために胃を少し温める程度のものでした。夜になると薪で火を起こした屋台のワンタン屋さんが街をまわり、お碗を持って買いに行ったといいます。今はこういったワンタン屋台を見かけることはまずありません。
 ここ数年、増えているのが「夜宵」の看板を掲げて明け方まで営業する火鍋や辛いおでんのお店です。また、若い人たちの間では、油条や豆乳といった定番の朝食メニューを深夜に外で食べることがちょっとしたブーム。霍山路という通りには“夜のみ営業する朝ごはんの店”が集まり、人気スポットになっています。ビールではなく豆乳を飲みながら「朝は仕事で忙しいから、夜を楽しまないとね」と笑い合う若者たち。なんだか微笑ましい光景に見えますが、年長者にこの話をすると、「そんなものを夜中に食べたら眠れなくなるのに」とみなさん、顔をしかめます。上海の夜のくらしは、特に若い世代において、良くも悪くも、どんどん変わりつつあるのです。

4.霍山路に集まる豆乳や油条を売る店は、夜8時頃から明け方までの営業。 5.「夜宵」の看板を掲げた店を市内のあちこちで見かける。火鍋の店はここ数年の夜食の流行。 6.夜になると街なかに時々現れる、ぬいぐるみの屋台。デートで夜道を歩く恋人たちをターゲットにしている。

睡眠時間はどれくらい?

上海は全国でも子どもの学力が高く、学校では宿題がたっぷり出ます。上海市*の発表では、8時間以上の睡眠をとれている小中学生はわずか2割。一方、子どもから老人までを幅広く調査した2013年の「中国睡眠指数報告」によれば、上海の平均睡眠時間は8.5時間と中国20都市中4位。2010年に味の素株式会社が行った「世界5都市睡眠意識調査」(調査対象:東京、ニューヨーク、上海、パリ、ストックホルムに住む30〜50代の男女計891名)でも、上海の平均睡眠時間は7時間28分と5都市中1位。子どもが睡眠不足を感じている一方で、大人は今のところ、意外によく眠っている街といえます。

*上海市教育委員会と教育部基礎教育課程教材発展センターが2012年に発表した「上海市中小学生学業質量緑色指標」より

中華人民共和国

人口

13億5404万人(世界1位、2012年)

面積

約960万㎢

首都

北京

時間帯

UTC +8

言語

中国語(主に北京語が標準語とされる)

上海市は人口約2380万人(2012年)。アヘン戦争後の1843年の開港をきっかけに国際都市として発展。イギリスやフランス、アメリカなどが租界をつくり、繁栄を極めた1920~30年代には「東洋のパリ」や「魔都」の異名もとった。観光地として有名な外灘だけでなく、街なかの至るところに租界時代の洋風建築が残っている。孫文や魯迅、杜月笙ほか、中国近現代史の重要人物の活動の舞台となった街でもある。現在、中国随一の経済都市として発展を続けている。日本人の長期滞在者は約5万6000人と世界最大。

プロフィール

もり・まいか ● 神奈川県横浜市出身。ライフスタイル誌「TOKIO STYLE」や機内誌「SKYWARD」などの編集者を経て、2010年上海へ渡る。中国語を学び、2011年よりフリーランスの編集者、ライターとして日中両方のメディアで活動。

Latest Column