── 世界的には「出ていく」ほうが多いんでしょうか。
豊田さん 私が調べた限りでは出ることが多いですね。入ってくるほうは、ニューギニアでも一部ありましたが、昔の日本では夢に誰かが出てきた時は、その人の霊魂が自分の心の中に入ってきたからだと考えてつくられた古い詩歌もありますよ。
限りなき思ひのままに夜も来む夢路をさへに人は咎めじ(小野小町、古今和歌集)
── 夢を自分のアタマの中で起きていることとは考えていなかったんですね。
豊田さん 霊魂が抜け出したり入り込んだりして、外の出来事を見ているのだと説明されるほうが、納得がいったのでしょうね。
── 宗教的な体験に結びつく例もあったのではないかと思うのですが。
豊田さん そういう例もあるでしょうね。夢はお告げのようなもので、何かを決定する判断基準に使われることもあります。
鍛治さん 夢占いと星占いでは、夢のほうが古いそうです。夢で技術を磨いたり、作曲したりする例もありますね。
── 日本では初夢は一富士二鷹三茄子って言われていますけど。
鍛治さん お隣の韓国では若い世代でも夢占いを大切にしていているそうです。
豊田さん 良い夢をみたらそれを他人に譲ったり、逆に自分のものにしたり。昔からよくありますよね。日本では北条政子が良い夢を妹から買って頼朝の妻になったと言われています。
男は思案をめぐらして、身体から出る音、それなら「おなら」だと気づいてからは、さまざまな音をおならで出す方法を学びました。そして妙なるおならの音を出していたら、それがいつの間にか芸になって、たくさんの人が見物に来て、ついには噂は立派な貴人の耳にまで達しました。(中略)
こんな話をきくと、人々は「いい夢をなるべくたくさん見ること」を目標のひとつにするようになり、中世くらいになると、これが高じて、他人が見た「いい夢」を買ってしまおうという「夢買い」が盛んになってきます。
鎌倉幕府をつくった源頼朝の妻・北条政子は、夢買いのチャンピオンで、妹が見た夢を買い取って自分の夢にしてしまったために、頼朝の奥さんになれたといわれています。陰陽道を日本にもってきたと言われる吉備真備という有名な奈良時代の学者も、他人の夢を買ったそうです。(中略)。
このように、夢は売り買いされるものでしたが、売り買いができなければ、自由に望みの夢を見られる人に自分のかわりに夢を見てもらおうというわけで、今度は、夢見のお坊さん、夢見僧などというのが出てきました。夢はまさに商品になってしまったのです。 (『夢うつつまぼろし』P.17~18、一章「日本人と夢 荒俣宏」より)
── 夢を解釈する人がいたんですね。
豊田さん 夢解きがいたようですね。夢をどう解釈するかは昔からの文書で残っているので、調べるといろいろわかると思いますよ。
鍛治さん 悪夢をどう回避するか。悪い夢をみた時は、それをなかったことにする夢違いなんかもあったと言われています。
豊田さん ネイティブ・アメリカンの一部にはドリーム・キャッチャーと呼ばれるチャームがあります。悪い夢を遮断してくれるのですが、夢は空中を浮遊していて、それが体内に入ることで人間は夢を見るのだと考えていたわけですね。
鍛治さん 夢の中で技術を磨いたり、何かを発見したり、18世紀イタリアのバロック音楽の作曲家ジュゼッペ・タルティーニはバイオリン・ソナタを作曲したという逸話もありますね。
豊田さん パプアニューギニアでは、仮面のデザインの傾向は地域で決まっていますが、個人で変更できる余地もあり、それは夢でみたイメージでつくるという話もありました。研究者は仮面を見るとどの地域のものかはわかりますが、彫る人によって違いもあって、人によっては夢のインスピレーションで彫ったのだと言うこともありますね。