CAREER CASE
営業担当
人事部
開発営業
開発第二事業本部
再開発営業部 第ニ課 課長
2000年入社|社会学部 社会福祉学科
活き活きと、自分らしく働きたい。
仲間にもそうあってほしい。
STEP0
18〜22歳
社会人になっても、
自分の力を試したかった。
学生時代はスポーツ漬けでした。小中高は、バレーボール部でキャプテン。負けず嫌いな性格で、勝つ為に日々練習に明け暮れ、大学に入ってからはタッチフットボールに転身し、無我夢中で打ち込み、全国2位まで行きました。
そんな性格だったので、就活の時も「打ち込めるものがほしい」と思っていました。それで営業職、中でも金額が大きく、成約に個人の力量が大きく関与する住宅メーカーの営業を志しました。
STEP1
23~31歳ごろ
「頑張る」だけでは、
家は売れない。
入社後は営業課で戸建て住宅の新築営業を担当。しかし、最初2年間は思い描いてようには売れず、苦しい思いをしました。
当時のことを思い返すと、私は「自分さえ頑張れば売れる」と思っていた節がありました。でも、思い違いでした。注文住宅は高級商材、しかも買って終わりというものではありません。安心して長く住み続けられるHEBEL HAUSという商品の魅力と、長く付き合える信頼感ある営業担当。両方揃わなければ売れないことを、先輩方の背中から学びました。
お客様からニーズをいかに引き出し、お応えするか。多くのお客様やチームの先輩方に鍛えられ、助けていただきました。当時身につけたお客様の懐に飛び込むすべや、対人折衝力は、その後のキャリアでもずっと私を助けてくれていると思います。
STEP2
32~34歳ごろ
「男性社会」から、
「女性が活躍できる会社」への大転換。
営業を8年続けた後、人事部へ異動することに。私に課せられたミッションは、「女性も活躍できる会社である事を社内外に示していく事」でした。
長年、男性社会だった住宅メーカーの世界。私が入社した頃、女性営業職の先輩は2人だけでした。同期の女性営業職も12人と営業全体で見ると10%にも満たない人数でした。誰もが活躍できる社会を目指して、女性総合職を積極的に採用し、そのバックアップをすること。そんな使命を受け、私は採用担当として大学での説明会や採用面接を担当しました。
今では、女性総合職の割合は順調に増加し、2年程度で20%にまで急増。私が人事部を離れた後もどんどん増え、今現在では30%を超えるまでになっています。
採用した方には、仕事も家のことも両方フルに頑張れる日々を過ごしてほしい。とても大変ですが、欲張って両方やれるようなチャレンジをしてほしいと思います。
STEP3
35歳〜
役職者として、
自分らしく生きられる会社を
「つくる側」へ。
人事部に異動して2年後、再び異動の辞令がかかります。次の行き先は開発営業本部でした。こちらも当時は女性が少ない部署だったのですが、当時の人事部長から「開発営業は女性が活躍できる部署になるはずだ」と背中を押されて異動しました。
マンションなどを手掛ける都市開発事業は、戸建て住宅に比べて長い期間を要する仕事。マンションなどの用地の仕入れ、事業推進は、携わる人も資金も多い仕事なので、チームを組んで仕事にあたります。そのため、基本的に個人で1棟を担当する戸建ての営業などに比べ、フォローしやすい環境にあると思います。
私は2度の育児休暇を挟みながら、今に至るまで15年開発営業を担当。そして開発は男女ともに、家事、育児との両立をしながら、活躍するメンバーが多い部署になっていきました。私自身もチームのバックアップのおかげで柔軟な働き方をさせてもらっていて、17:00から17:30には会社を出て、18:30頃には子どものお迎えに行く日々です。
再開発営業本部の課長になった今の私の目標は、一緒に仕事をする人たちがいきいきと働けるような、モチベーションやパワーを出せる環境を作ること。仕事も家庭もめいいっぱい頑張れる人、頑張っている人を自然にサポートできるような人と一緒に働きたいと思っています。
仕事も、家庭も、
両方高いレベルで頑張りたい。
そんな思いを持つ方と
一緒に働きたいです。