西 真理子さん
SLEで得た経験は、
私の個性であり強みでもある
30代
(診断時年齢 14歳)
全身性エリテマトーデス(SLE)を患いながらモデルとして活躍中の西真理子さん。部活動に打ち込んでいた14歳のときにSLEと診断されます。長引く入院生活や再燃する症状に戸惑い翻弄される日々。それでも、いつも前向きに歩みを進めてこられた背景には仲間の存在がありました。
小さい頃は外で遊ぶのが大好きで、いつも真っ黒に日焼けしているような女の子でした。小学校ではドッジボールチーム、中学校ではバスケットボール部に入り、毎日毎日、練習や試合で汗を流していました。
中学2年生の5月の体育祭の後、頬が不自然に紅く染まっていることに気づきました。自分では「日焼けし過ぎちゃったかな」くらいに思っていたのですが、親は何かを感じたようで近くの病院に連れていかれました。このとき医師から「SLEの疑いがある」と伝えられたそうですが、皮膚以外に症状もなく、一旦様子をみることになりました。私に病名は知らされませんでした。
再び体調に異変が起きたのはそれから2ヵ月後、バスケ部の先輩の引退試合の最中でした。その日は調子が悪くて、走っても走っても体が前に進まないような感じでした。そのうち腕中に紅斑が広がってきて、応援に来ていた母が急いで私を病院へ連れていきました。すぐにSLEと確定診断され、即日入院となりました。当時の私は、「風邪よりすこし重いくらいで、治療に専念すればすぐにまたみんなと走り回れる」と思っていて、まさかバスケを続けられなくなるとは思ってもみませんでした。
入院は8ヵ月間続きました。最初の3ヵ月間は紅斑や関節痛とともに約40度の高熱が続き、意識ももうろうとしていました。それでも、薬で熱が下がると夏休みの宿題をやったりして、近いうちに学校へ戻るつもりでいました。しかし、次第に記憶障害や幻覚症状があらわれるようになり、ついにほとんど寝たきりの状態に。ようやく自分の病状が想像以上に重症だということに気がついて、いつ退院できるかもわからない状況を不安に感じました。薬の副作用で顔もパンパンに膨れ上がってしまい、窓や鏡に映る自分の姿を見て涙を流す日もありました。
やがて病状は落ち着きましたが、寝たきりだったせいで筋力が落ち、起き上がろうと思っても自力では起き上がれませんでした。
「えっ? 起き上がれないって?」「これだと学校に行きたくても行けない!」
前向きな気持ちに体が追いつかず、心身ともに苦しい状態でした。
それから、ベッドの上でのリハビリテーションが始まりました。私は運動することが大好きだったので、体を動かせることが嬉しくてしかたありませんでした。固まってしまった関節や筋肉をほぐす練習から、少しずつ動かす範囲を広げていきました。当初は「立つ」という感覚すら思い出せず、心もとない気持ちでした。歩行練習でも、誰かとすれ違うだけで「怖い」と感じていました。それでも、慣れてくるとゆっくり歩くことができるようになり、小走りができた時には風を感じました。歩けること、風を感じること、生きていること。当たり前のことが幸せだということに気づいて、もっとリハビリを頑張ろうと思いました。入院中の前半は意識がもうろうとするなか病気と戦いましたが、退院2ヵ月前にはバスケ部のみんなからもらった手紙を読むことができるようになり、それが励みになって奇跡的な回復を果たすことができました。
発症してから約1年後、中学校に戻ることができました。このときはまだ自由に歩けなかったので、介護の人に付き添われての登下校でした。全校集会でみんなが体育座りしているのに自分だけ椅子に座っていたり、薬の副作用でマスクからはみ出すくらい真ん丸に膨れた自分の顔が恥ずかしくて、学校へ行くのが嫌だと思うこともありました。ただ、バスケ部の仲間やわかってくれる友達がいて、何よりも学校に行ける幸せを実感することの方が多かったです。
高校の入学と同時に、親の仕事の都合で北海道へ引っ越すことになりました。知った顔のない教室で、SLEのことをクラスメイトに話せず、入学当初は孤独を感じていました。日光を避けるために私だけ体育や屋外授業に出席できず、ひとり屋内で過ごすことも多かったです。
新しい環境にも慣れてくると、次第に自分のことを周囲にわかってほしいと思うようになりました。「話せそう」「わかってくれそう」「仲良くなりたい!」と思う人には、深刻にならないように「持病があって紫外線に当たれないんだ」とか「体力が無いから体育の授業を見学しているんだ」など、少しずつ病気のことを話すようにしました。全員に理解してもらう必要はないと割り切っていたので、本当にわかってくれる仲間に囲まれた高校生活は、私にとって心地よいものでした。
高校3年から大学入学までの期間、お弁当屋さんやキャンペーンガールなどアルバイト三昧の日々を送りました。楽しくてつい夢中になり、この頃は自分がSLEであることを完全に忘れて生活していました。結果、インフルエンザをきっかけに大学の入学式目前に体調が急変。しばらくは解熱剤を飲みながら騙し騙し大学に通っていました。それでも、あまりの苦しさに病院を受診したところ、抗体価が上がっていたり、白血球が減少していたりで、SLEの再燃と診断されて、またも入院を余儀なくされました。このときは水疱瘡も合併して、入院期間は3ヵ月に及びました。大学も半年ほど休学しました。退院後は、「みんなと一緒に卒業したい!」という気持ちで朝から晩までがむしゃらに勉強しました。その甲斐あってなんとか遅れを取り戻し、同級生と一緒に卒業式を迎えることができました。
SLEと初めてちゃんと向き合ったのは、就職活動での自己分析でした。最初のうちは、「病気のせいでマイナスからのスタート」と気づかされるばかりで、本当に就職できるのか不安になりました。それでも、思い悩むうちに、むしろ、「持病はあるけど、それを通じて得られた経験は私だけの強みであって個性なんだ」と思えるようになりました。
「病気のせいで思うように行動できなくて辛い思いもしたけど、いつも仲間に助けられて乗り越えてきた」「だから、大好きな仲間と5年10年後も一緒に笑っていたい、そんな仲間の人生でいちばん幸せな瞬間であるブライダルを演出したい」
就活では病気のことを隠さずに自分の気持ちを訴え続けました。もちろん受け入れてくれない会社もありましたが、思いが通じたのか念願のブライダル業界に就職することができました。
ブライダルの仕事はとてもやりがいがありましたが、同時にとてもハードなものでした。会社に病気のことは伝えていたものの、「特別扱いされたくない」という私自身の気持ちもあり、他の人たちと同じ様に朝から終電近くまで働くことが少なくありませんでした。そのせいか、いつからか脱毛が始まり、体力の限界を感じるようになりました。ちょうどその頃、学生時代からの仲間のブライダルを担当することが出来て、「夢もかなったし一区切り」、何より「自分がこの先も健康でいるために無理は禁物」と思い、新卒からお世話になった会社を退職することにしました。
退職後は、生活のためにキャンペーンガールなどのアルバイトを再開しました。あるときテレビの仕事をいただいて、画面に映った私を見た友人から「真理子がテレビに出てる!」「元気で頑張ってるんだね!」と反響がありました。これをきっかけに、自分の姿をみて元気づけられる人がいるということに気がつきました。そして、本格的に芸能活動をスタートさせました。
芸能事務所に所属し、モデルの活動にも力を入れ始めたころ、無理なトレーニングや食生活によって再び体調を崩しました。仕事場や人前では普段と変わらないように努めていましたが、活動期にはめまいがひどく、一人で倒れていたこともあったり、仕事以外では家から出られない日も多くありました。ただ、検査値がすごく悪いわけではなく、発熱もなかったので、辛くても入院の許可はおりませんでした。当時は一人暮らしで、実家にいる家族を頼ることもできず、恋人や身近な友人に都度SOSを出して助けてもらっていました。
こうした経験を経て、いつからか「病気に関連した仕事をしたい」と思うようになりました。モデル事務所にはそれから5年間在籍して、契約満了を機に、縁あって現在の事務所に移籍しました。今は、モデルの仕事のかたわら、難病支援センター・難病こどもボランティアの活動などを通じて、「同じ悩みを抱える人の役に立ちたい」という思いを、自分なりのやり方で実現しています。
SLEは生活のなかで制限されることが多いですが、やりたいことを全部がまんするのではなく、できる範囲で楽しもうと思っています。例えば、紫外線対策も完璧にしようとするとストレスになりますが、こまめに日焼け止めを塗ったり、日傘を差してみたり、かわいい帽子をトレードマークと思ってかぶったりして、できる範囲で気軽にやるようにしています。また、できないことがある場合は、遠慮しないで誰かに甘えることも大切です。売店で買ったペットボトルが開けられないときは、店員さんや知らない人にでも「手が痛いので開けてください」と頼んでいます。
また、恋人に限らずフィーリングが合い親しくなりたいと思う人にはSLEの事を少しずつ話します。「持病があるんだ」とか「昔、1年ぐらい入院したことあるんだ」と小出しに話して、そのリアクションを見て、自分が感じたことを信じて行動します。病気を伝えるのは勇気がいりますが、ありのままの自分を理解してくれる人が必ずいるはずです。
SLEを発症しやすいのは、仕事や恋愛など、やりたいことやかなえたい夢がたくさんある年代です。辛いことも悩むことも多くありますが、乗り越えられたり頑張れたりするモチベーションをぜひ見つけて欲しいです。たとえSLEだとしても人生は一度きり。今を大切に、元気なときにできる範囲でやりたいことを楽しんで、悔いのないハッピーな毎日を送ってほしいです。
※すべてのSLE患者さんが同様の経過をたどるわけではありません。ご自身の症状で気になることや治療に関することは、お近くの医療機関または、かかりつけ医にご相談ください。
取材日:2018年7月現在