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壁を越えた壁 HEBEL OVER THE WALL vol.1

HAUS

Episode 1 バウハウスが挑んだ高い壁

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モダニズム建築の造形美を現代に継承するヘーベルハウスの美しい外観。写真は浦和Miraizu 展示場に建つFREX AXiiiモデル。ヘーベルウォールにはG目地を採用。

 バウハウスの初代校長を務めたヴァルター・グロピウスの夢は、長年研究してきたモダニズム建築の様式や構造をいち早く大衆の住宅に応用することであった。1925年にバウハウスの校舎がワイマールからデッサウに移った直後から、グロピウスの実験は加速してゆく。自らの住居をはじめバウハウスの教授陣が住む「親方の家」、さらにはデッサウ郊外のテルテン村に建てた集合住宅テルテン・ジードルングなどによって、優れた機能美をもつプレハブ住宅を建て、その実用性を世に問うたのである。「最も少ない材料で最も高性能を約束する建築構造の家」。これが、グロピウスの掲げた理想の工業化住宅像であり、それを実現するために彼が最も注目したマテリアルが、軽量気泡コンクリート(ALC)の原型として知られるガスコンクリートだった。テルテン・ジードルングで使用されたガスコンクリートは、一般のコンクリートの4分の1の重さながら、その10倍の断熱性を持っていたという。炭素が結晶化すると硬いダイヤモンドになるように、コンクリートの細胞が気泡を含むと規則正しく並んだ結晶体となり、コンクリート自体の強度が増す。その強度を目の当たりにして、彼は突破口を見つけたのである。
 やがて、同じドイツ人であるヨゼフ・へーベルの手によってALCのパネル化が成功する。ヘーベルは、自らが開発したこのパネル材を使用し、短い工期で住宅を建築できるよう規格化、さらに安定生産・安定供給できるよう工場の設備を整えた。その結果、ALCのパネル材はドイツ国内だけでなく、ヨーロッパ各国へ急速に普及し、1947年当時2万?程度だった生産量は、20年後の1966年には約70倍の量まで膨れ上がった。ヘーベルが創造したパネル材は、高品質なプレハブ住宅をより多くの大衆に提供していきたいというグロピウスの夢を、現実のものに変えたのである。

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バウハウス初代校長ヴァルター・グロピウスが設計し、1926年から1928年にかけて建設されたドイツの集合住宅「テルテン・ジードルング」。人口が増えはじめていたこの地域の労働者階級に向けた集合住宅として開発された。家屋の構造は「トロッケン・モンタージュ・バウ」(乾式組立構造)と呼ばれ、現在の鉄骨系プレハブ住宅の起源となった。その建材にはALCの原型として知られるガスコンクリートを使用。百年近く経った今でも住み継がれている。

Episode 2 災害大国ニッポンという壁

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2021年1月にオープンしたヘーベルハウス成増展示場のFREXモデル。ヘーベルウォールにはBM目地を採用。

 プレハブ住宅の建材として世界中のハウスメーカーから注目を集めたALCのパネル材は、日本の地で精度を高めた。1966年、旭化成はドイツのヘーベル社と技術提携を結び、ALCの国産パネル化を開始する。しかし、それは単なる技術供与によるコピー製品の生産ではなかった。日本は欧州諸国に比べ、はるかに地震が多い国だ。このため同社は、欧州の住宅で使用する建材よりも強靭かつ防災性に優れた建材を開発する必要があると考え、研究と実験を繰り返した。その末に、ALCのパネル材の中に鉄筋を組み込んで強度を高めるという画期的な技法を構築した。その下地を拵えたうえで、1972年に旭化成ホームズという住宅メーカーを立ち上げ、ヘーベルハウス第一号を世に送りこんだのである。
 競争市場のなかで既存メーカーが住宅を安く早く建てて売るのに躍起になり、「プレハブは安かろう悪かろう」の印象がつきまとっていたが、ヘーベルハウスの登場を機にその印象は払拭された。73年、小学4年生の夏休みを筆者はよく覚えている。相模大野に住む叔母の家にひと月世話になったこの夏、駅前の新興住宅街の一角で初めてヘーベルハウスを見た。真白でフラットな、2F建ての瀟洒な家だった。
 時を経て2017年、富士山麓にある旭化成ホームズの研究所を初めて訪れ、そこに移築された初期のヘーベルハウスの実物に触れたとき、「あんなハイカラな家に住みたい」と恨めしがっていた叔母の顔が浮かんできた。そしてあらためてヘーベルハウスを支えるマテリアルファーストの精神を実感し、「まだ何十年も住めますね」と感想を漏らした。その取材では、二日間にわたって研究所の施設を見学できた。そこでわれわれは、住まう者の安全と居心地をロングライフで約束できる家を創ることの難しさを知り、弛まない努力によって高い壁を乗り越えていこうとする開発者たちのスピリッツに感動した。

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1965年当時、旭化成の社長だった宮崎輝(かがやき)氏は、災害大国日本でALCを生かすには耐震性や耐火性などの防災性を強化する必要があると考えた。そこで、建材の性能に一層磨きをかけるため、鉄骨とALCを組み合わせるという新しい技法によって独自のパネル材を生み出した。そのパネル材は高く評価され、霞が関ビルディング、現・帝国ホテルタワー、東名高速道路などにも採用された。そして1972年のへーベルハウス誕生によって結実するのだ。

Episode 3 ロングライフ住宅という壁

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相模原展示場に建つFREX3F建てモデルの外観。ヘーベルウォールのデザインは流行に左右されず、飽きがこない点でも「ロングライフ」だ。

 人生最大の買い物、マイホームを入手するうえで、なによりも先に「壁」の価値を見定めなければならない。それをわれわれに教えてくれたのがヘーベルウォールだった。1960年代、旭化成が世界中に探し求め、ドイツでALCのパネル材に出会って以来、半世紀にわたってクオリティを高め、造形美も進化してきた「壁」。それが日本のヘーベルウォールであり、その多彩な機能を生かして完成するヘーベルハウスは、ロングライフ住宅の先駆けとなった。
 1981年、旭化成ホームズは「工業化3階建て認定第1号」を取得し、現在の都市住宅の主流を占める3F建て住宅の先鞭をつけた。1985年には独自のシステムラーメン構造を開発し、耐震性の強化にも着手。1995年の阪神・淡路大震災では、火災による建物被害が相次ぐなか、震災地に建つヘーベルハウスの住宅は全半壊ゼロという結果を残した。火災被害が甚大な街のなかでまるで防火壁のように周囲への延焼被害を食い止めた姿が印象的だった。
 2004年には実際の建物を揺らす実大実験を開始。より本格的な耐震構造研究をスタートした。2011年には東日本大震災が発生するが、やはりヘーベルハウスの全半壊数はゼロだった。その後、2014年にはシステムラーメン構造専用の制震システム「サイレス」を開発、FREX全モデルに標準搭載した。2015年には世界最大の実験施設E- ディフェンスで、大手ハウスメーカーとして初となる3F建て住宅を使った実大実験を実施。過去に甚大な被害をもたらした大地震と今後想定される大地震の計10種類の地震波を同一の建物で連続加振する過酷な実験を行った結果、ヘーベルハウスの3F建て住宅は倒壊することがなかった。その強靭な躯体を支えてきたヘーベルウォールは、「塗り」や「彫り」の技術を磨きながら、われわれが最も好む「モダンでいて男性的な顔立ち」をより二枚目に見せてくれている。

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ヘーベルウォール史上最もピッチの細いストライプを起用した「マイクロストライプ」の壁。職人の削り出しの技を、独自の技術で工業的に再現しており、罫線を強調する約300ミリ角の格子柄をベースに細密なストライプラインを彫りこんでいる。また白壁のテクスチャーはヘーベルウォールの原点であるトバモライト石をモチーフにした「トバモリーホワイト」。多彩吹きによって完成した最もキメの細かいオフホワイト色の壁だ。

取材協力:
Sonechika

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HailMaryこちらのコラムはHailMary7月号に掲載されています。

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